総合的にみて iOS7 がどうのこうのって書きたいなと。思っていたので書いてはみるけど、iOS7自体に書く程のことが見当たらないのが現実なので少々困る。こまる。
あえて特筆するとしたら、今回の版では、コントロールセンターが有様を変えましたよってことと、(買い替えない僕には関係ないことだけど)5s の指紋認証がローンチしましたよってことなんだろうと思います。
iOS7 ではそれより前の版と比べて、ほとんどこれという機能の追加が認められず、利用者視点では進化を実感しにくいとうのを大まかな結論として抱いています。またそういった場合、つまり見かけ上はそれほど変化が認められない場合、縁の下のエンジニアリング的な側面において大幅な底上げ的改善なり刷新が図られていますです、ということはありうべきことなんだけどさりとて今回のバージョンアップで全体的な処理速度の向上や省電力というのも実感できていない使用感なので、そういう地味系の取り組みもなされていないか、あるいはなされているにも関わらず功を奏していないといった感じなのかと受け止めています。
結論、実のところ初期の版でほとんど完成をみていた、という結果論は割によくあることだし、ね。
でもすると、ですよ。この1年間、開発チームはいった何に取組んで来たのだろうか?という素朴な疑問も湧いてしまうけれど、そんな中のことは知らないし、それはそれ。
あんまり特筆が少ないので、今改めて、遠く過去を振り返ると。
まずガラケーがあって。これが便利で。基本的に電話をする。ポチポチボタンでメールもする。着信音を変えてみたりする。ナビタイムとか銀行取引アプリを使う。その脇っちょで、ほんのオマケ程度の一般的なWebサイトを閲覧できるブラウザーが乗っていたり、そうでもなかったり。
i-mode 的な所謂キャリア囲い込みの広場は盛んだったんだけど、そういう敢えて閉ざしたような狭義のじゃなくて、一般に呼ぶ所の開かれたインターネットができる、僕は強いてそういうガラケーをわざわざ選んで、使っていました。カシオのヤツ。オレンジ色したてんとう虫みたいな形の。だけどそれでも一般の web サイトを閲覧するにはとてもじゃないけど画面が小さ過ぎた。
とか。そういう前スマホ時代を経て、です。国内初の iPad touch そして、国内初の iPhone を手にしました。これは、鮮烈で革新的でした。
従来無かった絶妙な広さのスクリーンサイズ、そしてあろうことかソフトキーボードが搭載されていて、打鍵もスクロールもスクリーンを指で撫ぜることでそれを操作するというのだから、とんでもないことだった。当時は未だ使用実感すらもなかったけどモーションセンサーや傾きセンサーの搭載とか。胸が小躍りしました。
iPod Touch に関しては、もともと音楽再生の iPod の流れを受けての登場だったけど、もはや音楽が聞けますとか大量の mp3 が収納できる記憶容量を備えてますとかそういうことは、スクリーンや操作性能の前には、どうでもよくなった。普通の Web サイトが普通に見れ、操作できる。デスクトップの前に居なくても ネット検索や Gmail が使えることに大興奮だった。
それに初代の iPod touch の頃は、モバイルルーターはまだそれほど個人利用において一般的ではなかった。ノートPCを持ち歩くビジネスでの利用が多かったとおもう。それでも月額費のかかるルーターを手に入れて、戸外でのインターネット接続することは当たり前のスタイルになった。さらに 3G 回線に常時接続する iPhone の登場で、増々通信依存は加速していった。wi-fi か 3G かの差は文字面だと僅かに見えるけど、体感ではとてつもない違いだった。ものすごく新しかった。
その後 iOS はバージョンアップを重ね、その途上で、siri が追加され、icloud が追加され、iPhoneを探すが追加され、母艦 iTunes抜きのOSアップデートが追加され、テザリングが追加され、マップが追加され、YouTube が標準かされ、ibook が追加され。更に Google はじめサードパーティ製の App が彩りを添え、出版や音楽やゲーム各社がコンテンツを放流し、鮮烈さには欠けるけどそれでも目紛しく、愉快だった。「こんなことまで手のひらで!」や「インターネットをこうつかうのか」という感が、リアルにスゴかった。
けど、当然ながら時は流れて、そういうことは日に日に当たり前の事になってって。で、携帯端末の OS に求められる、というかデバイスそのものに求められる本質的なことは、本来は飛躍してほしいのだけど、もう概念がガッチリと固定化されてしまってて、今現在ではドキドキ感はなんにもなくなった。
Twitter が標準化?それが?、facebook が標準化?それが?、カメラ性能が向上?それが?
で、今回の iOS7 です。先にもたらされた変化に比較したら「ビジュアル効果がフラットです、それは三次元世界を模倣しなくて良くなったからなのです」などということは極々小さな瑣末に過ぎず、それは変化と呼ぶべきものですらないんじゃないかと思えますし、それより尚悪いことに、変化を棄権したことを誤摩化す言い訳のように響きます。手のひらの OS の色柄スキンを、アニメーションを変える程度のことは、部屋の壁紙を張り替えるインパクトにすら及びません。
前例がなかった訳じゃないけど、それでも指紋認証のセキュリティ技術の搭載は素晴らしい事だと思います。思いますが。同時にこうもおもえます。ことほどさように従来あった 4 桁〜任意の桁数のパスコード入力に不安と不満があっただろうか?あるいは従来のままではセキュリティレベルが低過ぎただろうか?
少なくとも僕の身の回りにそれを言った人は、いません。とするとこの今回の指紋認証テクノロジーは誰の為の開発と搭載だったか。皆目解りかねるところです。要不要の価値観がピンぼけしてないか?と。
セキュリティ意識が甘いと言われてしまうかもしれないけど、僕は流通して久しい生体認証式の銀行キャッシュカードを持たないし、指紋認証式の ATM でなくちゃ金を引き出さないと考えるほどに慎重派ではない。現状、指紋認証ないし生体認証は僕らの暮らしに一般化するほどのスタンダードじゃないし、おそらくそここそ先の未来においても、この感覚は同様なんじゃないかと思う。端的にいって普段の暮らしへ必要以上の技術を持ち込まれても、辟易するってだけだし、別に新しくも嬉しくもない。ドキドキも、ワクワクも、ない。
大人らしく状況を理解すると。
そもそもこれはあくまで一民間企業の製造するプロダクトであって小説や映画じゃないから、そこにドキドキを寄越せというのも甚だズレた欲求なのかもしれないけど、さりとて、このそこはかとなく感じられる個人的感情を否定するのも更におかしなことだとおもう。だから、素直に、iOS7 にはガッカリした。
往々にして我々一般消費者は革新的な製品を目にして、手にして、興奮し、そのできる事の新しさを乗り越え、この新しさのその向こう側の別の新しさへ期待を膨らませるものだけど実のところ、プロダクトというものは最初のアイデアマンが脳内に浮かべた極初期のアイデアが既に円熟なんであり、そしてこれに形を与える最初のテクノロジストが実装する初期パイロットが既に完成型であって。それ以降のバージョンは枯れた技術として安定的に回ってく、そういうものなのかもしれない。
「なんかビックリするような新しいの、ちょーだい!」といくら無邪気にねだってみても、そうそう画期的なアイデアでシステムが刷新されたり、核心を突くアイデアが追加されたり、新しい機能と役割が追加される、つまり生まれ変わることは期待薄なんだとおもう。そう弁えることが心底残念ではあるけど、現状の市場のオーソドックスな回転の様式と思うことにする。
僕、破壊的なこと待ち、です。
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