人に助けてもらってばっかりで。嬉しいやら、恥ずかしいやら、自分が情けないやら、オレっていい大人なのに…やら。
というようなことを、自覚を深める昨今です。

それでも、ね。人から教わらないといけません。人に支えてもらわないといけません。人と共にやってかないと行きてゆけません。
個人のできることで満足できていないことはやや恥ずかしく思うことではありますが、おおむねみんなそんなんでしょう。お父さんはお母さんになれないので、お母さん役についてはお母さんに甘える以外にない、というのとおんなじで。

だから、反対にですね、大人ならばその恥ずかしさに割り切りをもたなくちゃいけません。ちゃんとした大人らしい割り切りの下で、解らないことはなんでも人に聞かなくちゃいけません。出来ないことはなんでも人の支えを請わなくちゃいけません。得意なことはなんでも人と一緒に分かち合わなくちゃいけません。

そして恥ずかしさを押しのけて行うこの甘えは、自分だけが頂きっぱなしというのはダメです。成り立ちません。自分だけ知ってればいいということはありません。知らせるからこそ教われる。自分だけが支えられてていいことはありません。支えるから支えてもらえる。自分だけ嘘いって得を得ようとしていいことはありません。分配するから預かれる。ということです。

そういう相互の関係を知らずにスルーしてしまったり、あるいは重々知った上でなにか旨いこと出し抜いてやったつもりでいても、でも、それって所詮は一時的に看過されているだけのはなし、だったりする場合が殆どだと思います。そのとき偶々皆にとって指摘か制裁を加えるかしてやる行動がメンドウクセーから、大勢に無視された状態にあったということです。
関係者全員には解っちゃうってるんです。例え相手がどれだけ若くてもどれだけ経験に乏しくても、なんなら児童でも。人を数年やってれば「ああ、あのタイプのヤツだ」と、解っちゃう。ただそのときその場で、お目こぼししてもらってるだけです。ズルがバレてないと思うのは確実に本人ばかりで、端から見たらいい面の皮というやつです。恥ずかしいことですね。

で、こういう基礎的な人間関係作りをちゃんとすること、というのは案外「甘え上手」であるという見えがかりの性質として現れるんじゃないかとか、思います。甘えるときに確りと甘える、そして甘えられることを疎ましがらずに、むしろ歓んで受け入れる。このへんのバランスのしかたが上手である必要はとても大きいかなと思います。

甘えることと、甘えられることは親子関係ならば 2:1 とか 1:1 とか、1:2〜4 とかの範囲でコントロールできるものですが、世の中に出て、仕事をして、課長かなにかになって、仮に 10 だけ甘え、10 だけ甘えられる必要がある場合。多くの甘えが行き来する関係作りをする、維持をするためには、やっぱりそれなりに知識や経験の蓄積が必要ですし、また甘えることと甘えられることの双方に時間を惜しみなく人へ注ぐ度量が必要だとおもいます。もちろん効率の良さも必要。行き交う甘えの品質の高さも、ですね。

どういうわけだか立派そうにしてるひとも、人の上に立つ立場を偶々得たひとも、この関係は他人事でないばかりか、めいっぱいの甘え上手であり、甘えられ上手であり、しからば、適宜の「えへっ」感とかが備わってるし、見返り提供能力も人一倍優れているはず。愛嬌があるとか、借りを忘れないとか、そういう評価が得られる人材のはずなんです。振り返ってみたら、実際、信頼を得て、ポストを得て、調子良く仕事していた人物にはそういう人柄はちらほらあったように思います。

むんずと黙して語らず、取っ付きにくく、部下の手柄を横取りするそういう人の上に立つ人もいるかもしれないけど、結局彼らは長くは続きませんよ。だって、嫌われちゃうんですもの。身も蓋もないですが、そういうことです。

というわけでまとめると。甘えてはいかん!と鉄の掟を叩き込まれたおおくの人達は、ちゃんと甘えないといきていけないということ、甘えてない振りではいきていけないということ、現実にすでに甘えて行きているという事実関係をよく意識するととたんに人生が楽になるような予感がしますよ。楽観的に言えば、目上に目下に横の人にそこそこ距離のある人に愛嬌たっぷり甘えられる・恩返しできる大人、って結構良いんじゃないかと思う次第ですはい。

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