Mubz snap ケーキ

買う行為は楽しい。探す、調べる、比べる、買う、そして満たされるので楽しくないわけがない。が、それと同時に住居スペースは有限で、雑然とあるモノで視界を汚されるのはまったく気持ちがよくない。そうすると、あるモノを捨てるもしくはそもそも買わないという選択をちゃんと捉まえて振る舞わなくちゃいけないな、とか。割と真面目に思う。

買う行為はハッピーなのでその楽しみの中毒になると、モノは一方的に増え続け、口座残高は一方的に減り続ける。だけじゃなく視界は汚れ続ける。いつもいつも視界が雑然として、雑然が普通のことに変わってゆき、きっとそれは身体と脳に馴染む。そういった事態はダサい。精神的に不細工だし、物理的に不細工なのは言うまでもない。汚い部屋で Casa とか読んでるのもどうなのよ?と。

なので根本的な課題解決方針として、買い物という行動範囲の捉まえ方を、買う行為と買わない行為との2つをセットとして捉えることができるといいなと思う。

良いものを買った、良い買い物をした、というのと同じように、自分にとっていつか要らなくなってしまう・いつか欲しがった理由が判らなくなってしまうような儚いものを事前に峻別して、上手に欲求を律して上手に買わない、ということを達成することもまた買い物の楽しみだというマインドセットが持てれば良いと思う。「どうだ!惑わなかったオレかっけー」というニュアンスで。

仮に時間軸まで考えて考えてみれば一目瞭然。そもそも「必要である」か「欲しい」と思ったものが100あるとした場合に、その全てを購入すれば家の中は部屋ではなく倉庫へと変貌するに決まってる。しかもそうなるには1ヶ月もあれば十分。
ということは、仮に2年間(1ヶ月×24回)賃貸する家でいえば、「必要」「欲しい」と思ったもの 100 のうち本当に購入して良いのは 1/24 くらいの分量。ざっくり言えば 100 ほど欲しいと思って、購入して良いのはたったの 4 ほどしかないということ。もっとドラマチックに言えば 100 欲しいと思ったうち 96 は買っちゃダメということ。そのペースを守っていてすら、そしてどんなに片付け上手であったとしても、2年後には部屋はパンパンになってしまう道理。(かなり大袈裟にかぞえてはいますけどね)

こうなってくると、事はなかなか高度なので、買い物という行為はストレス発散や中毒や享楽の対象ではなく、合理的な振る舞いや仕事業務に近いものに位置づけられるかもしれず、それはそれで世知辛い気もしなくもない。けどそれでも、どうせ数ヶ月後に不要になるあるいは買いそしてそれを所有してることすら直ぐに忘れ去ってしまうような形あるモノを買うくらいならば、いっそのこと知人と会ってすこし良い店で少し良いものを飲み食いして、跡形なく消費してしまう方がよほどいいんじゃないかと思える。それなら人との繋がりは豊かになるし、話題も豊かになるし、記念写真の1枚も増えるかもしれないし、なにより家の中の美観清然は保たれる。
ここでは飲み食いということにしておいたけど、それだけじゃなく、贈答に注ぐだとかでもいいし、旅に注ぐのでも良いし、そもそも家賃に注ぐのもすごく価値がある。
(ベッドタウンに住んで都内に通うの辛いよね。都内は家賃が高いけど、毎日往復3時間もギュウギュウ電車乗って3回も乗り換えるそのロス分は補ってあまりある。元気に仕事できるから)

ともあれ。モノを持たない、モノを買わない、買うならずっと好きでいつづけるものに注ぐというような塩梅で、買い物行為を包括的に捉えるといいことがありそうだなと思う。

とかく「捨てる」ことばかりが注目され勝ちだけど、そんなんじゃない。その手前の段階で心に淀みある状態で適当に買ってんじゃないわよ、って話。

Casa BRUTUS特別編集 完全保存版! 理想のキッチンの作り方 (マガジンハウスムック CASA BRUTUS)