寝る直前にビールを飲んでお寝坊かます、冬期の休暇の最終の日曜日。こういうのが醍醐味。だけど本年、それらしいことをしたのはこの日が初めて。不摂生とか不養生とかって身体が疲れるし、リズム崩れるし、復調が一苦労だしでこれといっていいとこない。だけど、でもまた、やっぱり。そういうことをしたい衝動があるのもまた事実。ストレスと発散の文脈で説明はつくことだけど、さりとて、身体がその機能を備えてるってことが不思議だ。
動きがゆっくり目で万人受けする普通のシューティング・ゲームの地位を確立して久しいバイオハザード。久々に怖いファクタを含んだバイオハザードだぞということで評判がよかったバイオハザード リベレーションズ アンベールド エディションに着手した。とりあえずノーマル・モードをクリア。休暇中にクリアできてよかった。クリア時にもらったショットガンが今ひとつ格好良くないがすこし残念。章立てになってること、1章あたり30分前後で終わる事、洋ドラマのようなナレーションで「前回のバイオハザード・リベレーションズは・・・」と振り返りから開始する構成はなかなか良かった。
仕事初めです。用意、ドン!本年一発目の仕事は8:30スタートの広告宣伝予算会議。面倒くせえと思わず向き合おう。とはいえ予算も何も。目標も戦略も施策実績もさほどない。無さっぷり、スッキリぶり、真っ白カンバスぶりがむしろ気持ちいいくらい。君の言うのはブランディングだし、君の言うのは広報だ。ソッチの君のはクリッピングだし、あっちのアナタはマーケティングだ。ドンは祭り好きだ、派手好きだ、目立ちたがりだ。そんな感じで、予算など。
あるとしたら、前年の反省は組織化の保留をしたこと。というと格好よさげだが、自分の仕事に他人を絡めなかった、業務の細分化と専属配置をしなかったということ。欲得ありきで、自分に仕事を付けたいから、そうした。だけどそのために進行が滞ってる案件も出た。ので年始早々に組織化開始。あと、関係ないけど、空気読まずに素直に悪いことを言お、とおもう。無理を食らい尽くすのは身体に悪いから。
ろくろく計画書も書かない。企画も喋らない。もちろんありものサイトの研究も理解もしない。おそらく見てすらもいない。少しの時間をとって、たとえば5分とって、その目で確かめたなら解るようなことを、恥知らずにも、こちらに質問してくる。そうなるとそれはもはや見積ってすらない。見てもないし、つもってもない。つもりたいなと思う金額の話だけがテーブルに乗っててそれでおしまい。とどのつまり自分が欲しい額面のはなし以外は何もしない姿勢ということ。いろんな社交辞令を省いてシンプルにまとめれば「毎月200万円ください、細かい話はそのあとだ」と。誘拐犯かよ。ところでそれは誰の役に立つ仕事なんんだい?ただ言われる要件を満たすだけのことで、目一杯のお金をもらおうとする。そんな感じのが割といる。時代錯誤、甚だしす。恥ずべき行い、甚だしす。
全くくだらない、どころかもはや日本語としてすらあやしくもある広告文をリスティング運営会社から提示される。いくらなんだってこれは拙いってことで、指針を示すべく「例」文を添えて広告文の再考を依頼。したらば、なんと。これ(この例文)では文字数が超過するので数文字ばかり短くリライトしてください、、、と。もうね。なんですか。バカかアホかを通り越してる。ダメな方の意味でクレイジー。
初日すなわち新年会。会には参加せず、ひとっこ一人いないオフィスで、しこしこと業務を進める。お年賀をもってくる取引先も多数ありその対応も。まっ昼間から全社員いないのって、どうなんだ?と殊勝な事等おもう。21時ごろに仕事を終えてozちゃんと居酒屋へ。さしで飲むのは初めてのこと。若いためか、そのほかの理由か、思考の底が浅く、あまり楽しくはない。正義感も自尊心も抑制できるようになった頃に、また飲みましょうね。
自分の足のサイズが小さいということに気がついた。ドレスシューズではレザーが足に馴染むことを勘定に入れるとUS 6.5とかUK6.5とかでいけるらしい。まったく自覚がなかったけどタイトに測るとこんな小さいものなのね。
混沌に向き合い、考え、悩み、なんらかの方法で、力一杯の仕事量で解決を見る。そのときに選ぶ方法が自分なりのドリルであれば、辛くても、解決に至らなくても、結果その共同体を去る事になったとしてもまだ救いがあると思う。自分なりのやりかた、みえかた、ユニークなものが証として残るから。考えと悩みと方法の確立をせずに居ると、どこへも行けない。今居る共同体でも養われる側の生き物としか認められない。
とにっかく眠い。昼食にカフェに出かけるとほぼ寝ます。寝にいってると言っても良いほど。昼下がりと言えば、朝目が覚めてから6時間ほどです。その時間活動したら眠いって、オマエ赤ちゃんかよ。
飲みの要請がシンドく感じられております。なぜならそれは守りに入り始めてるから。普通に「翌日に響くからやだな」とか思う。思う体たらく。こんなじゃダメだと分かっちゃいるがそれでもシンドいのであるからして、週末の昼に会う事にする。
常識はずれをこそおやんなさい、ってことだ、などしみじみ思う。普通のことやって、普通の幸せと不幸を、普通に甘んじて受け入れるのも一つのスタイル。だけど、そういう普通の幸せと不幸せに得心できないなら、異常なことをするしかないよ。当たり前だのクラッカー。肝心は、自分の異常性に気がついてるかということ。これ知らない人が殆どでしょう。そうすると結局、普通のことしか出来ないわけでして。あるいは才能に見合わない突飛なだけの事に嵌るわけでして。
無駄に18時ジャストに席を立ってみる。それは、なんつうか、憂さ晴らしの感がある。が、感だけであって、実態は何の憂さも晴れてはいない。なぜならば自分の仕事は自分の上にしか積んでいないのだから、逃れようもない事を良く判ってる。ただまあなんというか、慣れた領域の仕事は勝手がわかる分だけ、気持ちに余裕があって、その分だけ楽しむことができたりはする。
「僕ストレスです」ムードを発散してデスクに就いているヤツとは仕事なんかできゃしない。「ボク、参ってるんです・・」とか「困ってるんです・・」とか「ね、弱ってるでしょ・・」なんてムードを醸す理由など一個しかなくて、それは「こんなことさせられて、ね、ボクちゃんかわいそうでしょ」ってなわけで。犠牲者ってところですか。
まかされる仕事があることや、自分ごときが人に頼られるという事実に対するラッキー感は皆無なんであり、なにやらさも被害者みたいな面持ち、言いよう。
犠牲者であるという自覚が産まれる根源ははっきりとしていて、自分を高いところに置く心性が過度に強い、俗に自尊心が強いとかそういうこと。つまり「自分は、クレバーでスマートで、全てが見渡せていて、誰よりも立派だ」と最初っから信じちゃってるわけ。そう教わって、育まれ、生きてきちゃったわけ。故に。ことほどさように立派な僕がこんな(みじめな)仕事させられるなんて、相応しくない!と思いつづけてる。その仕事が惨めな状況なのは自分の能力不足によるところなのにね。ともあれその思想と現実のギャップが「ボクストレス」ムードを創造してる根源。だからやなムードを打ち消すには、ギャップを解消すれば良い。実際に素晴らしくなるか、あるいは現実を顧みて自分のダメさ加減を心底受け入れるか。でもなかなかそのどちらもできないのがこの病の根。自分は優れていると信じる事は、足を洗いがたい麻薬だから。「誰より優れそして誰より醜い自尊心の塊のボクに代わって、自分より地位の低い誰かがこのクソみたいな仕事してくれ」って願いを叶えようと奔走しちゃう。
実のところ、そういう心性こそがヒエラルキーの最下層を形成しているってことに気がつけるといいね。いつかね。