週末土日月は3連休。普通の週なら二日間きっちりデトックスしたいとこだけど、これが三日もあるとなると話は別なので、土曜日の昼に Okくんとランチ飲み会。もし互いの幸せに通じるならば、この案を前向きに検討してほしいと願う。そんなこんなで、結局昼から10時間、飲み続け食べ続け不摂生。まあ三連休ですから。
ちょいと前にあった、山登りが好きなんだとかいって山ガール、森の中でお茶を入れるんですとかいって森ガール。こっちからするとなにすっとぼけたこといってんだいって、それはまた違うタイプの前衛かなにかかい?と思うようなことでも、それに真面目に取組む人がいるっつうんだから、なんというか信じる力、酔う力って凄いなと。自分で価値を開拓できないから、与えられた価値に満たされてそれを信じちゃう、願わくば自分が発案者であるかのような顔をできることを目指す。それで何者かである気になれるんだから、なんともイージーというか、可笑しくてヘソが茶沸かす。かたや。ヒマラヤでお茶を立てるレベルまでいけば、立派な山ボーイ。
なんら信仰心なく。まったく迷信を信じず。ほとんど人の話も本の内容も疑って眺める。そちら側の生き物だと自分ではそう思う。運も気にしないし、ジンクスも気にしない。血液型?星座?は?と。だけどどういうわけだか、古く痛んだ靴を履いていると景気のわるい仕事がまわってくる、景気の悪い人になってゆくというヘンテコリンな思い込みを持ってる。それは単なる気の迷いなんだけど。それはわかっちゃいるんだけど。おもうんだからしょうがない。どうやら脳みそは整理したつもりでも、まったく不合理な導線なり系統が残ってるもんだなってことがちょっと可笑しかった。こういうのを洗練されてないという。
冒険するとか挑戦するってことが賛美されるのはご時世。でこの冒険とか挑戦の前段階のしんどさというのはとかくフィーチャーされるのだけど、でもその後行程にある「しんどさ」の方は切り出され語られることが多くなくて不思議だなあと思う。
日本人全般の共通体験として言えば、一般的に、大学受験とか大会社の入社試験とか、なにかしら関門を通過すればネームバリューが得られますという構図にある事柄も、それはそれで一つの挑戦なんだろうけどさ。関門手前の苦労は全員共通で意識することだけど、関門を通過した後のしんどさがまるで勘定されていなくって、また勘定しなくて良いようにその先の社会ができあがっていて。それはそれで一種の理想郷。「突破した後はよしなに」という幻想の共有。この理想郷の住人になるために、関門手前の1年間だけ努力する。なんかそういうのって挑戦とか冒険とかかそういうのじゃなくただ単にラクを得たいというアザトさだけなんじゃねえかっていう。あまり美しくないものでも賛美できる、本当に値打ちある頑張りはあまりに地味でまた共感も得にくく大衆受けしない都合がありそうだとかで、いろいろと不可思議。
金つかって、酒飲んで、そんで翌日二日酔いで具合悪くて。記憶すらも断片化して。もう飲むまいとかおもうけどそれでもまた懲りずに飲むんで。このアホのループはなんなんだっておもうけど、しっかりそこで得てるものがあるので、よしとしようじゃないか。ジャマイカ。
体育的なものとして理解すれば直感的に判ることだけど、おおぜいいる大人たちは、論は立派なんだけどでもまるで本人の身のこなしと体力は伴わず、つまりぜんぜん頼りにならないのであるからして、足腰に自信があるなら断然、自分で解決するのがお得。もったいないのは、おおぜいいる大人たちが動かないって愚痴を100万べん言ってることで、それをしつづけていても、ただ無為な時間が過ぎてくばかりで、何の結果も産まないどころか時間分のマイナスを生じる事。100万べん愚痴を言うなら、100万べん刺身に菊の花のせるほうがよほど値打ちがある。どっちにしても、批判は仕事じゃないし、批判の時間は経験の蓄積を産まない。さらにいえば批判の内容が通って実行できる段になったそのとき、内容通り動けないヤツはこれまた腐る程ある。
珍しく連れが実家に帰省。書道の初動。それはとてもいいこと。その隙、連れの目を盗んで、コンビニでしこたまジャンクフードとビールを調達して喰う。これもたまにはいいこと。
もともと自分なんて吹けば飛ぶよな、あってないようなもの。田舎育ちで、判で押したタイミングで皆と同じに上京して、ふらふらして、金かせいで、金つかって、ぶらぶらして、飯くって、酒飲んで、寝て起きて・・・それがどうしたっていう存在。だから、気位ばかりは低めに構えたい。生きてたって誰からも意識されないのが標準値で、なんかの拍子でたまに、短時間だけ、存在を気付いてもらえるならまあまあの存在、しばらく友達になれたら上出来で、生涯つきあえるなら軽く奇跡。巡り会えるその対象は人でも、物でも、事でもだいたいおなじで。たまに役に立つ事もあるかもしれないし、ほかのだれかじゃなくて自分におはちがまわることもあるし、生涯のうち一度か二度か、じぶんでなくちゃなんないシーンがあったりなかったりするくらいの、そういう感じで上等。そういうふけばとぶ生き物が、書斎に腰掛けてビル・ゲイツの、スティーブ・ジョブズの、マーク・ザッカーバーグの生き様を文字でなぞってみたところで、別に何もでてきやしない。ウォーレン・バフェットが大前研一がどこぞの政治家がどこぞの役人がどういったこういった、そんなことを判ったところで、かせいでつかってくってねる暮らしに何の関係もない。そういう面倒で難しくてせいぜいあたまをよくみせようとだれかにほめられようという目的以外にあまりやくにたたない種類のことに費やしてる時間があるんなら、そういうことで満たしてる自尊心があるんなら、その時間目一杯速く、目一杯多く、願う動作をして自分に出来る手の届く範囲のことをしてみる方がよっぽどいい。もしかしたらそれがどこかのだれかの鼻につくか、あわよくば目にとまる。鼻についたならぶつかってしまえばいいし、目にとまるんならちょっとばかり話を聞いてやればいい。はなっから貰ったのはこの身体ひとつばかりで、それ以外に元手は何もないんだから、貰った身体使う以外にやれることなんか本来なにもない。くらいに低くひくく、グローブの小指のとこがしっかり土に触れるくらい低く構えて思う事何でもやってみればいい。システムに、他人に、神に、みずほ銀行に、報われようなどと、そんなこと考えて暮らしてるほうがなんだかおこがましい。
遊んでるわけじゃないのに仕事が進まないという異次元体験。なんなんだこれは。とりあえずの結論としてオデの事運びがダセエんだってことなんだろうとおもうけど、プロセスが異次元だから解決のしかたがよくわからない。人を増やし、担当を分散すれば自ずと解決するのは当然そうなんだろうけども。実際そのことにまあまあ奔走しているんだけど。結論が出ないと変化は呼べないからな。芽吹くのを待つしかあるめえ。心身とも真冬まっただなかだなこりゃ。
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