Mubz snap

今履いてるのが目も当てられない程グズグズに痛んできていて、これを機に、靴を買い替えますかと、例えばオールデンなんかちょいと面白いかもよと調べ始め、ああクロケット&ジョーンズねえふーんと思い、ははーんチャーチねとなり、JM ウェストン に不時着。
当初の計画とは全然違うゴールに辿り着いてしまったけど、もうね、履物ばっかりは足に合うか、この条件が他の何にも増して必須ですから。これでいいのだ。と出費とまさかのフランス靴選択を自己肯定。ポジティブに言うと足に合う靴が見つかったのは幸い。先 5 年間くらいは頑張ってほしいな。

土曜日。10時に起床。ここ3ヶ月では珍しく思うとおりの寝坊ができた。24時には床に入ったクセして、朝は10時まで寝る贅沢。

感性の不足は、罪だと、もう定めたらどうだろうか。ダサい人等と付き合う事に、あたしは心底、うんざりするんだ。それだもんだから所在なく場所を移動するんだ。この移動の繰り返しにももう飽きあきしてるんだ。

いつのまにか。少しずつ。自分の可能性を狭めてゆくのなんかいやだな。なにが社会性だ。なにが計画性だ。なにがリスクだ。なにが気遣いだ。なにが優しさだ。なにが権利だ責任だ。しったことじゃない。そんなもののために、ゆっくりゆっくり、真綿で首してってどうするんだよ。ところで真綿ってなんだよ。

紳士靴のことを「こちらの彼は・・」と呼ぶ売り子。「下世話ですけどこのメーカーさん来年から値段が1、2万円価格が上がります」と耳打ちしてくる売り子。「紳士靴の戦車と呼ばれる事もあります」と判らないトークをしてくる売り子。友達にはなれないけど、なんか、ネタ的には面白い。思ったのは、流石は三越さん、流石は本店、ってこと。深い懐に、起ったキャラクターを抱いてる。普通、あれはシンド。ABCマートとかムラサキでは収容できない。

他人を自分と同格だと、思う。だから他人に厳しくなる。俺の気付けることだからアナタも気がつける(本当は気がついている)んでしょう、だからそこを標準点にしてそれより上の方の話ししましょうよ、という具合に。まあ実際にそういうケースは多いのだから困る。でもだからといって、この世界観は俺の思い込みなんであって、真実ではないので、厄介。つまり、すげー面倒くせえ!です。あと、デバイスまたぎの iCloud ってなかなか同期しないときあるよね。これもすげー面倒くせえ!

さていよいよ月曜日。悩むとこじゃなくただやるところという意味で、俺は他人に、世の中に、寄り添わなくちゃあんめえ。
海のある南の島でのんびり暮らす。偶然の幸運のため、そのことだけは確保できてる。別に、その前に朽ち果ててしまってもいいのだけど、一応、そこにたどり着く楽しみ(?)がここにはある。そのときにいくらか余裕があれば氷屋でもやるし、もしなんもないなら浜に座って日がな一日。ともあれ、誰にも求められず、自分を追い込まず。

追う側と追われる側と。さてどっちが楽かっていうとそれは考えるまでもなく自明。なのだから、追う側になろう、世のほとんどの人間が何も考えずそちら側を望むように。これも悩むことじゃなくただやること。こういうことこそが、俺は、苦手だ。

自分の暮らしを守りたいと、その気もちはよくわかる。のだが、そりゃあどうかね。一概じゃないけど、守られようと頑張りすぎるから、ストレスが過多になるんじゃないかな。まもられなくていいや、破綻していいや、けがしたり、病気したり、事故したり、もしか死んじゃったってしようがないことをよく判って、普段を振舞っていればいいんじゃないかな。だって守られたくて守られる価値ある自分を演出する為に、らしくもなく頑張りすぎて病気するなんて、ヘンテコな話じゃないのよ。

何をしても満たされない。関心と興奮の波がザザァと引いてゆく。つくずく、どこまでも、不真面目ないきものなんだとおもう。なりたくてそうなわけじゃないのだけどね。間違った時代、間違ったエリアに生まれてしまったのかしら。ただ、新鮮でありつづけること、だけが唯一生きる道。

もしも仮に、発電設備をアートにするやつなんかが現れたら、そいつの商品は良く売れるだろうね。まだ製品が常用品化しないうちに、他との違いを意識できることは、殆ど望めない事だけど。でも、だいたいからして自ら進んで価格競争の修羅場に突撃してしまうのは、それが簡単だから、という理由のためだよね。

PASMOのチャージってクレジットカードだめなんだっけか。と戸惑う、夜の三越前。

iPhone触らなきゃ、時間たくさんあるかもよ。など。なんでiPhone 触ってるのか、持ってるのか。なぜiPhone に Safari がはいってるのか、消せないのか。俺はインターネットに何を求めてるのか。良く判らなくなってきた。

結局、人が好きとか言えるのは、自分に都合良く人を使ってる側だけなんでして。人を好きになりたければ、自分の我が儘だけを追求し、それを実行させる対象を見つけるといいよね。何が言いたいって、経営者にあこがれるって属性の人はたくさん居るけど、それはなんとも歪な憧れだと思うんだよねってこと。不自由な人格であるがために経営者にならざるを得ないんだよきっと。人と生きるか、金と生きるか、だからね。人の居ない世界へ行けば人に焦がれるけど、でも、居ないんだからね。その寂しさに耐えられるかどうかは生まれつき不自由な人かどうか以外に解決策はないよ。

俺なんてこの今履いてる俺の靴みたいに履き潰れてお釈迦様。というストーリーで構わんじゃないのか。と生き様の構成について、ちょいと思う。

普通でいるのは、普通に対して未練があるから。だがしかし。異常を望むなんてのはそもそもまだ何者でもない中二故の思想であるからして。オーナー経営者の痛さというのは御子息だからとか社長だからとかではなく、単に中二だからなんである。それをとりまく大勢の銭勘定の大人達が、中2のご機嫌を伺うことで暮らしている様は、なんとも情けない事だね。そんな情けない生き方を選ぶくらいなら死んだ方がマシ、という価値観も多いにアリだと思うんだよね。

3ヶ月未満。ここまでのところ。何を達成したんだということへ目を向けると、完全に意気消沈して止まってた Web サイトが息を取り戻しお知らせや商品情報や納入事例等がゆっくりと動き始めたこと。Facebook も同様。広告というものが定点観測すべきものであるという風に理解が得られつつあること。広告はじめ活動に予算が必要というそもそもの概念が誕生したこと。人材を引き入れれそうなこと。製品説明書が無事に引き継がれまたその運用が透明性を得てまともになったこと。幾つかのメディアに広告掲示してることと。いくつかの外部パートナーを頼れる体制ができてきたこと。Webの脱ホームページ、メディア化で合意が得られつつあること。

金曜日。くだらない、くだらない。誰とも会いたくなくなるほど、飲みに行く気も削がれるほど。その道に見識がない人間と話さなくっちゃならないのがくだらない。これは一つの逃避なんだがそんなもんはしらない。
たとえば愛するもののために頑張るとか、守るべきものがどうとか、夢を叶えるためとか、なにかこう使命的な扱いの何かとかがあったとしたって、クソたいそうな御託なんかこのくだらなさの前では意味がない。ほどくだらない、くだらない。

土曜。不可解な夢。なんぞこれ。
Q.
親父がshottのらしいカチカチのレザー製のロングコートを誕生日のプレゼントによこしてきた。不思議な縦縞模様のジーンズ(使用済み)もセットだった。包装もなにもなかった。ただ新品らしいコートと、お古らしい縦縞のジーンズを渡された。コートのデザインはまったく洗練されず、そのサイズは大き過ぎもした。このプレゼントの費用が幾ら幾らで、それを支払え、本来ならばそれより多めに支払うべきだと、プレゼントの費用を請求された。これに怒り罵声を浴びせた。が、このコートを着て知らない街を歩き、知らない旧知の外人とランチに行く約束をした。そしてまた街を歩いていると遠くで原子爆弾がおちて街が壊滅状態になった。コートのお陰で身体は無事だった。崩壊した人のまばらな街で、崩れ落ちていない 300m ほどはありそうな暗く細く長い病院の通路を抜けて、店で外人家族と落ち合いランチの約束を果たした。けど、顔を合わせただけで一緒に食事をとるのは遠慮して、同じ店に居た別の旧知の友人と、カフェへ出かけた。

A.
誰か、分析して、良い解釈だけ聞かせろください。


[サフィールノワール] SaphirNoir クレム1925 75ml