Mubz Snap

金曜日が休みで、まさかの三連休。この週に日本橋に新しくオープンしたコレド室町2、3には物見高い大勢のひとたち。おかげさまで久しぶりに人ごみの中を歩く。ぶつからないように触れないように嗅がないように、見ないように。意識的に慎重に。それはもう小学生のときに始めてやった避難訓練のように。で、やっぱり、疲れた。自分の身体をコントロールすることへ全神経を注いでしまうので、人ごみには向いてないんだ。

対等なコミュニーがとか、言うんだけさ。それを実際にすると去って行くひとは多いよ。当たり前だ。
本人すら自覚できてない潜在意識水準で「私は、ウヌより上である、ウヌよりも先にある。ウヌ以外のウヌよりも、当然、最初から上である。ウヌなんか許しているに過ぎない」と、ウヌと自分の間にある要素をなんら分析も比較もなく、産まれたときに与えられる最もプリミティブなOS「万能感」のセーフティーモードを解除することもせず、非常に不便な考えに捕われている、OS「万能感」 はそのバージョンを一切アップデートしてきてすらいない。怠惰ゆえの無知ゆえの没感性ゆえの、キレキレのナチュラルボーンナルシスはこの世にざらにある。この天然物の見下し思想ゆえ、孤独になりやすい副作用を満々湛えてる。その孤独を埋めるため、今度はあまりに安っぽく作り物であることが明白な親愛の情を示してみたり、またそれと良く似た偽物の親愛の情を開陳することを他人へ要求したりもするのだから、結局のところそこには、対等らしそうな対話が産まれ、そしてシャボン玉よりも早く、破談する。俗に「こじら」した状態。そうしてまた次のひととの親愛の情を真ん中に置いた嘘つきごっこがはじまる。
大人の発達障害にこの件が含まれているかどうかは知らないけど、もしも含んでいないなら、良い大人の多くのこゝろがまったく育っていないというこちらの件の方がよほど社会経済的には重大な障害だとおもう。

記憶に残るコピーとはなにか・・とフリーハンドで考えて浮かんだのが「オレ・タチ、カルタス」なんか、ごめん。そうなっちゃった。

コレド室町ではないほうの商業施設で食事をした。薄くスライスしたポークを鍋にくぐらせるタイプの。

持つものとそうでないものの差がひどくなるメカニズムが確固となるのが、実のところ、教育や大学進学なんかじゃなく、社会人になってからだってこと。この真実の部分が全く触れられないのはなんでだろうかと思うに就け、結局一線引いた向こう側のこととしてしか言えない、日和った気質があって、この腐れビビリがと思う。今のお前の状況を語れよ、と。
社会人人生なんか40年もあって、うんざりする長さで、その間で人は大きく変わる。その間で何度も可能性の波がやってくる。というのに、決着は最初の1年で殆ど全て決まる。というか決まったってことにして封印しようとする、そういう力学が働いている。どうしてそういう力学が産まれるかというと、誰も・自分よりも・エラくならないでほしい、という思想。エラくなっても良いけど、オレの頭の上に座らないで、って考え。

文は、難しい。考えが浅過ぎて書けないのだし、考えすぎて書けなくなるのかもしれないし。考えないと浅いし、考えたら判りにくいし、で。ちょうどのところで天然、ってぐあいで書けたらいいのにな。

侍、てかっこいいね。SAMURAIとかね、言う感じですかはあはあそうですか。
調べてみたら「さぶらう」って動詞があって、これは高貴な人に付き従うような塩梅らしいですよ。その付き従うのの理想型が The サムライと。だもんで意味を汲み入れて丁寧に解釈すれば「(命を賭してまでして)従う者(ことで暮らしを成り立たせる) JAPAN!」とか、なっちゃいますかはあはあそうですか。
ここの社会は、かなり古くから、評価と許しと糧を自分と同じ生き物である人間に求める、そういうサラリーマン根性丸だしでやってきた社会とみて間違いないわけ。
片や、未熟な僕は。
いったいぜんたいどんな理屈で、自分の生業の選択、自分が人生で背負った業について、他人とかリクルートとかが、したり顔してとやかく言ってくるんだろうか?占い師かなにかか?占われたとして、それが、何かオレの業に足しになるか?オレの業のケツ持ちしてこの輪廻を終わらせでもしてくれるのか?と疑問に感じたもんですよ。でも、彼らからしたらこう思ってるんだ「君って、あの誉れたかきThe サムライ を基準として零点だね。優柔不断ヤローめ。」なんのこっちゃ。
大勢の人は、人間が人間を崇めて、と同時に腹の底で金のなる木としてありがたがるそういった仕組みが大好き。その仕組みのトップオブザトップに君臨するサムライが理想型なんだから、揺るがない人物を見つけてこれへ一生尽くしたい、ということね。それって一言にまとめると「決して自分を見捨てない主が欲しい」ということだよね。これを今風に言えば「婚活」だよね。
「ねえ誰かいい人いない?アタシってこう見えて尽くす方なんだよね〜」だ。バーカバーカ。
個人的にはこうおもう。アウシュヴィッツ=ビルケナウのように渋々ならばともかくも、仕えることへ憧れ、あまつさえ仕え尽くした者を理想とするだなんて、誰が作り上げた価値観だろうね、誰が植え付けた幻想なんだろうね。その辺はよく考えた方が良いよ。
そんな安っぽいブランドイメージにまんまと乗せられて、自分の思考を他人にくれてやるだなんて、とんだアレだよね。笑えるけど、笑えないよ。日曜日の午前にハンモックで寝てる時間のほうが、よほど誇り高い。

酒の力を借りて。なんていうとネガティブな理解の仕方みたいだけどそうじゃあない。
そこで曝け出してる醜態と本音こそ、そもそもその当人人格なんだから。
そこで「うわあ・・あひでえな」となる人格が拝めたんなら、日中どんな分厚い猫被ってたって、やっぱ根っこがアレなんだよ。
反対に、酒飲むと案外話せるんだなって思うケースもまたあるしね。そうすると「アータなによ!隠してんじゃないわよ」とポジティブになれる。
ともあれ、いい大人が意気地もなく、日がな自分を偽るために、ドンキで買ったピカチューの全身スウェット着て暮らしてるなんて絶望。その傍らでストレスがーとか騒いで、なんなん?なにしたいん?

H が元気に暮らしてる。とてもいいこと。シャキシャキ身動きしているのは、気分がいい。悩んでたり、鬱々したり、ため息ついたり、死んだ魚の目でいるよりもずっといい。そやってシャキシャキするのはいいんだけど、その気持ちの高まりのぶつけ先がパワポで赤字いれってのはどうなんだろうね。納得できないな。「丁稚奉公にきました!」じゃないんだから。
歳に、経験に、誇りに忠実に、そして本当に実現可能なことを対象に活動してほしいと願う。

ねえねえ、ミラーレスでフルサイズってまあだ?

別に難しいことではない。こちらが発したいメッセージとユーザの視点とで掛け合わせて評価したときに、レイアウトが根本的に違う。ユーザは最初にこれを見たい。次に見るべきはこれ。それを支える斯斯云云の裏付け情報をドンツキに据える。そう漏れた視点を喚起すると「もう!そういうこと言うの、前の打ち合わせのときにしてくださいっ!!!」と半ベソされるという、もうね。なんかどうでもいいわー。笑っちゃうわー。あんた幾つだよ。じゃあやらなくていいよ、って返すと、エヘン虫みたいにツンツンした感情の高ぶりがスッと引いてたな。
layout はそこに広げるだとか、ページを割り付けるって意味で使われるのがほとんどだけど、かたや死体をきちんと埋葬するとか人をノしちまう的な意味もあって、今回のレイアウトは完全に後者のほうですなー春ですなー。
一体全体、商品を正しくそして好もしく受け入れてもらうそのための最適解を出す責任は誰が背負ってるのか。万事がこれだから、ツールづくりの人とマーケティングの話はできないんだ。

残念な人は、置いて、先へ進もう。機械のようにオートマチックに、置いてゆくことが、摂理のようにして。

こないだ無償化を解禁した OneDrive 使い始め。各デバイスを相互に Sync など。
その影響で、普段は全く使い尽くすことのない Wimax2 の月間の容量上限が、ギリギリに。具体的には、今月3日残しで、6.8Gbとか。油断ならない月末をすごす。

数をあつめてその全員からちょっぴりずつ上前をはねる。そういう経済原理以外になんか新しいのないの?くだらない。くだらないから嫌いなの。オレは下らないということを憎むよ。

ロガーのみなさん、Apple ストアで UP24 が販売開始されましたよ。

UP24 by Jawbone Wristband iOS対応【並行輸入品】 (M, onyx)