Mubz snap

「X-MEN フューチャー&パスト」を日本橋の映画館で鑑賞。滑り出し、監督・製作陣変わった?て気がしなくもなかった。X-MENてよりターミネーターじゃね?って感じでやや不安。だったのだけどトータルではやっぱり面白かった。安定のテーマパーク的楽しさ。ま本物のテーマパークのことは嫌いだけどね。
パトリック・スチュワートは、ジャン=リュック・ピカード一発だけでももう十二分に幸運な役者人生だったであろうとかおもってたんだけど、ここにきてまさかの2つ目のどはまり役が来るとはもの凄い幸運だよね。ミッキー・ロークじゃあこうはいかないよ。なにひとつハマったためしがないんだから。

今週はなんの週だっけ?こなすことが多過ぎてもう、脳からこぼれてる。月曜の朝の喫茶店。頭で考える事を放棄してもきっとたぶん身体が思い出す。そのことに頼る。ともかくこの週初めの意気としては、ともかく「作りまた作らせる」の週。1週間って40-50 時間しかないんだから。
ときに。来週は何の週だと思うと「リリース」の週。絶望だねー。そもそも仕様すら決まってないよ。

たこ足コンセントの都合で一時休眠状態にあった AppleTV を復活させた。久しぶりに使って思うけど iOS、OSXとの連携の良さは本当にエレガント。AirPlay は本当に使える。

朝の移動。久しぶりに一駅乗り越す失態。でも朝かなり早く出てるから全然余裕。やっぱりゆとりって大事。

狙って起業をしようとかおもってると、ただのそれだけで、既にもううまくないとおもう。形而上的ダサさ、が。ははーん何をやるかでなく何者をやるかっていう沼に足を掬われおったな的な。そういうのより、お金借りて好きなことすると割り切ってか諦めてか事を滑り出すほうが自然ね。部活的な、サークル的な、遊び的な、趣味的な、サーガ的な、業的な。まサークルとかはダサいけどね、ブレてるからね、目的が、キモいね。で、その結果としてお金が循環するんなら世に必要とされてよかったねだし、逆にそれでビタイチ金が動かなかったんならそれは廃部して自分の選球眼を憎むしかないっていうね。それくらいの感じのプラマイのリスク。

自分でもとても残念なんだけど、良いウェブサイトってなに?っていう簡単な問いに対していまだに答えが明確でない。やはり阿呆なのかオレは、としばし。新しくてそして影響力のある、ポジティブな印象を生み出せる、記憶に残るウェブサイトにおける企業活動。そういうあたりさわりないのであれば幾らでもあるんだけどそれが雲を掴むみたいな感じで、一向に定型化されない。問われるたびに(一応答えはするんだけど)嘘をついてるようなヤな気分がする。いっそ開き直って「いま、流行ってるヤツです!」という回答で統一しようかなとかおもう。

ある問いがあったとき、最初に頭に浮かべる「こと」が著しく重要なんだと、ふとおもう。
なんでもいいけどとにかく意見を求められるシーンで、他人から自分から、問いを向けられた瞬間、いちばん最初に頭をよぎるのが「理想」についてであれば理想への挑戦、理想へ辿り着く具体的方法についてを考え答えを用意しようと努力するはずだし。これと反対に最初に「安定」についてであればやぱり何もしないことの正当性について思考を深め答えを導こうとするはず。これは善し悪しの問題ではないんだろうけど、偶然にか必然でか、最初に思い浮かべることが、その人のスタンスを決めてしまう部分がある。絶対音感じゃないけど、問いの冒頭に浮かぶ一発目の印象は、なんだかんだで問いそのものの理解においては比較対象資料的役を持たざるをえないわけで。一般論的にはか、経験論的には、特定の人格は何を聞いても否定的スタンスをとる、また別の人格は何を聞いても前のめりすぎるようにみえるスタンスをとる。そういう人格それぞれ一定の傾向があるようにおもう。それは、問いの直後の絶対音感にその人が支配された状態で回答してるってことだとおもうし、その感じの根幹には、心身の疲れとか、基礎体力とか、自信の強弱とか、生得的な事が多分に影響していそう。勘だけど。自分のコンディションを良い状態にして問いに向き合えるかどうか、一種の特殊能力といっていい。踏み外せば、本人の意図を越えて、まるで違う議論や答えを呼び込んでしまう。ともあれ恐ろしいのは、最初に思い浮かべることというのはクセみたいなもんだということ。ダメな答えしか導かないクセにはまってる人は、なかなかに、多いと思う。
だもんで、問いと向き合った刹那に、すっと浮かぶイメージより先に、議論を面白くするスタンスを取る癖を身につけたいなと思う。

越えるべき壁。彼のあたってる壁は、いつも単純でなかなか深刻。壁あるゆえ、繰り返される言い逃れ。辞める日付を区切ってみせる、土日をホビーに費やす、平日声もかけあわなくなる、飲みに誘わなくなる、上司の能力を見下す、上司の人格を見下す、同僚への関心を失う、本質論を云い始める、やりたい事を胸の奥深くにしまい込む。それはまるで壁を迂回するために身に備わってしまった癖のよう。では何の壁が立ってるのか。自分が大したモンでないという現実を直視したくない。これは気分でありアイデンティティを守るためのシェルター。このままじゃダメだなどとは決して気付きたくない。変化をはねつけなくては、自分に、これまでの生き方に説明がつかない、自己が、我が崩れ去る恐れが、その癖の習得を促進する。覗き込まないように、そして覗き込まれないように、否定しないよう、させないよう、身につけた癖は技であり道具ともなった。この技でいくめいかの人をやっつけてもきた。それは誇りへと昇華された。長らく培った誇りが、道具が、技が、癖が、いつしか、回路を逆流し、思考となり、こんどは気軽さが、自己が、我が、自由が支配された。飾りはなしで、本人が本人の才覚の発露の機会を摘み取ってゆく姿はただ、寂しいことだとおもう。

木、カフェ。

金、焼き鳥屋。

おなじメンバ。なんだこれ。

とりあえず金曜日から東京は豪雨。

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