「知っている」と口にして言うってことがそんなに重要なのかしら、と思うことがしょっちゅうある。

知識を物品に例えて販売するとか、そういうのって・・まったく詭弁にすぎないってのに。
どう逆さまにしたって、知識はただの知識でしかない。知見はただの知見。想いはただの想い。そんだけ。それらは物品じゃないし、仕入れ値だってゼロ円。

もちろん頭が良さそうだとか、頭がいいという評判だとか、知恵が回ってるだとか、そういうことに関しても、もしそれが真実だったとしても、それでその人の格が定まるということはないし、また、あってほしくもない。
まったく知恵のないでくの坊がたまたまイノシシをやっつけて、それで村人の命が救われる、感謝される、謝礼が発生するって図ってほうがより平和な雰囲気がするから。まあもちろん知識のあるイカしたヤツがイノシシをやっつけてもいいわけだけども。

厳密には誰かが(オマエが)勝手に本かなんか買い込んで、学校かなんか通って、金払ったというだけのこと。そんなのは自分で好きだからやったんだろ?好きでやったことについて、他人に清算を求めんなよ。褒めてもらおうとしてくんなよ。キモチ悪りーなー。
まあその反面で、発声練習に関する本をしこたま読んだ音痴の、歌声とリズム感を確かめもせぬうちから有り難がってる側にもかなり深刻な問題が潜んでるわけだけど。

Mubz snanp

知識だろうが、見識だろうが、未来予想だろうが、過去の経験だろうが、成功体験だろうが、占いだろうが、降霊術だろうが、念だろうが、なんだろうが。

それが役に立つかどうかはこっちが決める。というより実際には、そのときの状況が決める。そのときの課題が決める。解決後の有様が決める。
だからこちら側、金を支払い物を購入する側の問いはいつも「オマエに解決できるのかい?」だし、支払いが発生するポイントは「はい、解決しました」の時だ。それは具体的に言えば、壊れてたエアコンが治ったこと、そのことに金を払う。エアコンを直す知識に金などはらえるもんか。また「ものすごい量の知識」で直したエアコンがより涼しいかというとそんなこともないわけだ。

というわけなので。値札のついた知識なんかそれはもう直ちにウソ。成功報酬もリスク商品にも入らない。気をつけないと、シンプルに「嘘つきの言葉」に大して対価を支払う羽目にあう。そんなのよりラーメンの替え玉の方がよーっぽどいい買い物なのにさ。

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