薄々気づいていたことなんだけど。今更感はんぱないんだけど。
「キャパのない人」と組むのが大層苦手だ。


Mubz snap

とにかく自分の身一つ程度すらもなんとかできないような、余裕のない人がピンポイントで苦手。見てて辛い気持ちになる。詰りたいような気持ちにもなってしまう。すごく精神衛生がよくない。キャパのない人はオレに近づかないで欲しい、関わらないでほしいと心から願ってしまう。

訳あってなにか負債を負って必死の形相なことや、目標のために脇目も振らない人や、文字通り猪突猛進仕事に血道を上げる人。それらそのものが悪いとはまったく思わない。それぞれ好きに、身の丈を大きく上回る夢や借金を追えばいい。ときに、自己成長のために過大な負荷を自分に課すことは、大切な事だが、ただし、だ。

それらのことで発生する過大な仕事量、過大な重圧、期待される過大な成果、過大な売り上げ。過大な自分自身の打ち立てたヴィジョンなどを、「他人に潰させまい」と発想するのは大きな錯誤だ。
潰すとしたらそれは自分自身の能力、寛容、キャパシティの足りなさ由来するしそれ以外にはない。あるいはまた、他人が縁者が部下がどうなろうが目標のためそれはどうでもよい、つまり自分『だけ』は潰れまいと考えることも誤りだ。たとえば散見される例は、他者へ根性論を打ち立ててみたり、共感や同情を強要してきたり、公式・非公式と問わず盲目的努力・善行のようなことをルール化したり、行為に対して常識とラベルをつけたり、妙に芝居がかった対話をして情動に訴えてきたり。そういったことをしてくる時点で言語道断。まずもって個人の人格が相当怪しい。それらは関わりあいではなく、擦り付けだ。たとえば誰だ。あの人とかか。

「僕はね、店舗というスペースを提供してね、そこでの経験、血のにじむ努力、喜び、苦しみ・・つまりアナタの人生に必要な素晴らしい体験を提供してるですよ」「なのでたとえそこでの業務が苦しいものであったとしても、ワタシは引け目など毛ほども感じないのですよ」「何故か」「アナタが苦しいということはアナタの成長に繋がっている」「アナタが嬉しいということはお客様の笑顔に繋がっている」「苦しさを感じるとき、むしろあなたは与えられた苦境へ、そしてワタシとの出会いへ、感謝すべきですよ」「これはアナタの人生そのものです」(「よしこれでオレの賎しさはばれてない」)の思考回路、キャパの小ささを他人に購わせようとする考えの定着した人たち。
あの彼に限らず、東京には大勢いるね。実際、そこかしこにいる。実際、身の回りにいる。石投げたらあたる。そしてこの傾向は早ければ小学生ぐらいから見受けられ、小学生時代に是正できなかった人はずっと是正できない。このロジックの中をぐるぐる回る。
これは仮説なんだけど、キャパの小ささの発生頻度とか、バレていないという賎しい思考転換、からの耳障りの悪くない嘘の熟練、また心性というか思考回路の軌道修正の難しさから判断するに、この「キャパの小ささ」という症状はある程度遺伝的に決定づけられてる病気なんだよね、統計的裏付けはないけど経験的に。もちろん、環境も意思の力もあるだろうけど。教祖とか嘘つきとかは、大半、生まれ持った才能だから。

ちょっと余談が過ぎたので元に戻す。たとえ持ち前の「それ」がどれほど素晴らしい「利益の源泉」だろうが「夢」だろうが「野望」だろうが「正義」だろうが「可哀想な借金」だろうが「大義」だろうが「社会的善行」だろうが「貧乏」だろうが「無能」だろうがその大本の元凶がなんであれ。まったくもって自分の身勝手ではじめた事柄、関わっている事柄。欲や思い込みに絡め取られてる状態について他人に助けを求めことは(あるいは求められることは)あってはならない。
思い描いた「それら」に関係して自分の身に生じた渇き、枯渇、事故、不備不便について、同じ共同体にあるとはいえ全く他者に対して『夢想家を潤すための便宜的価値観や労働や常識や思想、努力』を強いるような駄々、恫喝、ゴネ、要求、指導者面、泣き言は断罪されなくちゃいけない。つきあってはいけない。よりそってはいけない。支えてはいけない。許してはいけない。

人間の在り方として、目を背けざるを得ない哀れさ。たとえ身体中の血が乾いてたとしたって、これをしちゃうような人間は、深い事情などなく単純に「箍が外れた」だけの、みすぼらしい生き物だと覚えよう。自分のプライドを保つために女房を打つDV亭主と何一つ変わりやしない。情けない。

そしてすくなくとも東京ではこんなのが多い。理由は単純。嘘つきが多いから。地方からあがってきたようなやつが、同じく地方からあがってきたヤツを相手に、ダマし通せるとおもって暮らし、勤めてるから。「大きな事を言いそのうち1割も満たせない者」同士の化かし合いという茶番劇。悪夢かよ。

これが、僕らが東京とか会社勤めとか人付き合いとかがを下らなく感じる理由。本当は東京もビジネスも人付き合いも人生そのものといっていいくらい素晴らしい物事なのだけど、ここに描き出したような能力キャパが小さいのに身の丈の何倍もビッグマウスでそのせいで他人に尻拭いさせる手配で頭がいっぱいの卑しい回路のひとたちが多すぎて、健全な暮らしの邪魔をするんだな。

なので、キャパの小さな人がきらい。なので、スルーして余裕で暮らしてゆく。
よーしこうなったら、駄洒落で締めてやる。

フォトグラフス―ロバート・キャパ写真集