おおむね人知れず。一部のウェブサイトの運営のことを粛々。同時に計画を立て、この計画の最低限を知らせまた分かり易く飲み込みやすい実績を指し示し、予算を取得し、この予算でもって外部といっしょに計画を立案遂行している。予算と同時に目標を立てて、この目標指標を順調に進めながら、傍らでコンペ開催し、新たなパートナーを選定し、いよいよ計画の本丸たる刷新に着手してる昨今。コンペ時点から良くも悪くも見通しの立っていた、予想の範囲の出来のTOPデザインを受け取り、まあこんなものであるとして第二階層以下もいろいろ手配をすすめつつ、で一応順調。
順風満帆とはいえないまでもだいたいのことが計画通り遂行されている最中。
大手広告代理店マンが身内の人間として召還され、彼とのセッションにおいて「このTOPページを、なんていうかなー、もっとこう、印象的にしたいです」という。それはたとえばパタゴニアのように。それはたとえばスノーピークのように。このいかにも広告業界の中の一線でない層にいました然とした、目も眩むようなザ素人な要望。クライアントとの会話では2万回通過してきている。クライアントならパタゴニアで例を示すのでOK。けど身内として、言葉を持つプロとして、人生の先輩として、パタゴニアみたいに、だ。ここにきて2万と1回目、パタ・ショートはいりまーす。
ダセーし。オセーし。結果側からの逆算にしたって結果の理想がズレてるし。この若葉マークかつシルバーマークをさくっとパスして、車線変更したくてしたくて堪らなくなった。オシャレに夢中ののんびり代理販売店さん。状況をよく見てみなよ。この吹けば飛ぶような糞ベンチャーで、売りながら買うようなスピードで、買っちゃったから売らなきゃならない混沌の渦の中で、明確なブランドのコンセプトもない貧相のなかで、だ。ウェブサイトのTOPページの打ち出しについてのべき論なんか意味がないのですよ。ほかのツールもそう。そもそも広報・宣伝物の見栄えの側面だけを切り出してブランド論に絡めることなんか、明日何着てこうかなというお召し物井戸端会議でしかない。思春期ボーイズかよ。
もしブランド論をぶち上げたいんなら、それならそれでもっとグッと抉ったようなやつでなくちゃ駄目なんだ。自分らが何者か、何者らしく映るべきか。そのあぶり出しにはもう少々知恵と根気が必要だ。そういう見立てを持っている。もって、走りながら、ひねり出す。そう計画している。顔つきなんか時々の力量に応じて変わる。カバー・ガールなんかいつだって簡単に変えられる。
とかなんとか・・・そういう考え方の違い、理解の違い、状況認識の違い、経験の違い、役目の違いのことはいったん脇に置いておいて、気がついたことがひとつ。
ごく当たり前のことを勘定するのをすっかり忘れてしまっていた。「止める」ことだ。
働き、学び、吸収し、身になじませてきた。一刻も早く目的地に到着するために順路を調べ、道具を選び、策を練ることを知った。道中のスピードを高く維持するために、ステアリングを覚えた。同乗者のが車酔いしてしまわないよう注意が必要なことを知った。先の先に視点をおいて、渋滞にも信号にも追突にも回避能力を高めた。無駄にブレーキを踏まされることに憎悪を覚えるようになった。そんな風に目指したし、振る舞ったし、完全でないけどそういった運転を安定して再現できるようにもなった。だからこそ、ここにきて、はた、となる。
とくに何もない場所で、別に何も得ないけれど、止まる。止まって、ただ何もない景色の中で、流れてく時間の中で、無為な時間を過ごす。
そういうことをしたい人がいる。そういうことに抵抗がないひとがいる。蛇口を開けっ放しにしてその前にボーと立ち、滝のように勢いよく流れ出る水道水が排水溝に吸い込まれてゆく状態にあってこれぽちも気持ちが悪くない人がいる。その状態に何の疑問もわかないひとがいる。囂々とシンクに叩き付けられる水の音を耳にしながら、明日何を着て遊びに行こうか、考えに耽ることに疑問が沸かないひとがいる。今日は一日なにもすすみませんでした。今日は日がなゲームしてました。今日一日ボーとしてました。何事にも地続きでつながってないけどただなんとなく格好つけてやってみました。そういうい書生のようなメンタルのひとが、いる。こちらが理解できるか、できないか、そこに理由や妥当性があるか、ないかではなく、単に現実として、そういうひとがいる。
そういう実在のひとたちと歩調をそろえて歩いてゆくことについて、苛つかずにいれない性分だ。この歩調が30年といわずとも10年いや5年だって、続くことを思うと逃げ出さずにはいられない。この事情でいくつもの仕事を渡ってきたし、いくつもの静かな仲違いをしてきた。
けど今回ははたとなった。はた、だ。この性分を見直す時期が来たのかもしれない。ひととつきあうということは、一緒に止まること、間違いを一緒に過ごすこと、一緒に惑うこと、一緒に無駄をすること、一緒に罪を犯し一緒に罰せられること、深いふかい沼にゆっくりと時間をかけて一緒に沈みつづけること、そういったことのすべてを受け入れることなのかもしれない。だとしたら、俺はずいぶんとエキセントリックでつきあいの悪い男だっただろうよと、ただそう振り返った。