「働いてる人の貴重な週末」朝っぱらから名言を吐く相方に見送られ、この時期にはふさわしくない軽装を後悔しつつ自転車の風に耐えたどり着いたいつもと違う新しいカフェで、ダラダラ書き。

mubz snap

会社もなにも。バンドとかみたいなもんで。

天才からにわかまで、ただ音楽が好きだとか、某の何時のアルバムが好きだとかそういう程度の理由で人が集まってみたりして。「夢が一緒」という幻想を言外で実感してみたりして。

んで、集まってはみたものの、ダラダラ時間を共有したものの、大半は華開くことなく破談。いい思い出だったねで終わり。「普通の奴ら」と同じように経済社会にそれとなく紛れ込む。
もし偶々うまくいってもそのうち音楽性の違いだとか、価値観の違いだとか、ファンの期待がどうのこうのとか、バンドの維持存続が最上の目的とか、訳解らん感じであえなく破談。当初のもくろみとは全く関係ないようなトンチンカンを言い始める音楽全く関係ないあからさまな拝金主義の輩まで沸いて出てきて、もうなにかそれは、大義は我にありみたいな。糞かよ!とかね。

自分を殺して、好きでもなんでもない曲を弾き続けるなんて惨めだね。特に好きでもない曲がバカ売れしてるときなんかは余計に惨めな気持ちだよ。まあ売れなきゃ売れないで惨めだけどさ。あと50になっても、60になっても20の頃のヒット曲をずーっとやってるっていうね。もうなんかファンの期待に応えて歌いますとか体のいいオブラートで包んでるけど、金がほしいだけでやってます感、その後音楽的にはびた一文成長してません感すごい。音楽の先っぽを切り開く気分がなくなったんだったらそこは枯れた自分を認めてやめてしまうべきだよね。金ずるとして遣らされてるんなら、やらされてるような人間も悪いよ。弱いよ。

だからね。すぐ破談、すぐ決裂、すぐ脱退、すぐ解散。そんなんでいいじゃないの。脱退すらも許されないなんてね、その範囲ってもう拘置所にほかならない。人を縛ることはできない。してはいけない。

人知れず、また訳もわからず、だけどどうしても好きなコトがあって、不思議に思ってて、でも恥ずかしいような気持ちがして分かち合うことなく過ごし、いつしか偶然自分と同じようにアイツもそうだと知ったとき。みたいないつかがあって。いまだって、おじさんだって、何歳だって、そんな気づきが、そこでの会話がやたらと嬉しかったその時くらいに、頭と気分が澄んでないと、どっちにしたって暮らしは仕事は物づくりは楽しくないでしょうに。

小銭拾いでコアタイム消化試合からの虚無な残業して「会社のため」と大義を述べるドラム担当、退職希望は「社会人失格」とか独特の責任感とか倫理観をがなるベース担当、ろくろく市場規模も知らないくせに「もっと売れるはず」というドラム担当、周囲が無能すぎて自分の能力を押し計ることができない、と嘆くVJ担当、
バブルやITバブル期追い風に追われ速く進んだボートに乗り合わせたことがあるだけのボーカル担当。多責が信条で怒鳴りと逆ギレが主な行動傾向で長いこと人と対話をしたことがない作詞担当。経営を真剣に考え悩んだのはもう数十年前、使い古した契約書フォーマットの型に嵌め安全と保身と無難の三角を一歩たりとも出ようとしない作曲担当。

彼らが織りなす音楽へ、プロダクトへ、消費者はいったい何を期待したらいいんだか。そこに期待はない、そこから生み出されるモノがあるとするならばそれは今売れているもののコピー品の劣化版程度のもの。これは「思いついた振り」「作っている振り」「押し売り」そして「失望」。見切る方が正解。誰が見切るって当人たちが見切るしかない。

そこにあるのは「『閉じたコミュニティ』の中でだけ成立する独特の利害の関係を市場」とする個々人の心のわだかまり。モノをつくるというには既に変形しきってしまった歪(いびつ)。
人の心の歪の犠牲になっているものこそが、本来そこにあったはずの伸び伸びとした気分とその気分から生まれるプロダクト、それからついでに言うとこのプロダクトでもたらされる筈だった収入と人気なんだから。

ヒミズ(1)