「私の勤める会社の社長はとにかくすごいんだ。そりゃもちろん完璧なんかじゃないさ。ま完璧な人間なんかいやしないんだしね。良くない態度や考えがないわけじゃない。賞与を渋るし、恩着せがましいし、休日にもスタッフを働かせるし、計画はコロコロと変更になるし、それになによりもものすごく太っていてすごく様になっていない。だけど、それらを補ってあまりある才能に満たされている。彼でなければこの事業はここまでの成果を遂げることはなかっただろう。彼なしの会社、彼なしの私の今なんて、想うことすらもできないよ。」とか。

「私はとてもラッキーななんだ。顧客との出会いが毎日私に元気をくれる。そりゃあ9割の人は他所へいきやがれという態度でけんもほろろだし、耳を貸してくれる残りの1割のうちだってその9割は『で、いくらまで負けるの?』と切り出すのを待ちきれずにいる連中さ。だけど、1割の1割、1%程度の聡明な人々は、私の話に真剣に耳を傾けてくれる。うなずいて、理解しようと努力してくれる。そのことが私に今日を乗り越える力を与えてるんだ。いろいろあって最終的に契約に至るのは、そのさらに1割、0.1%ぽっちだけど、そうやって毎日生まれる『初めまして』が私のワクワクになる。このワクワクが明日を迎えるための糧になっているのだ。この仕事が天職だとおもうね。」とか。

全員がね、言えばいいね。そんなの相当気持ち悪いんだけど・・・言えばいい。

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勝手に感じ入って、趣に浸って、思い込んで、「ああこれのために生きてるんだな」とか「これはラッキーなんだ」とか「試練だ」とか、思えばいい。
別の言い方は・・えーとなんだ。コーリングとか、セレンディピティとか、啓示とか使命とかお導きとか・・言うんですかね。言い方変えてみても気持ちわりーのはやっぱり一緒なんだね。
冷めた言い回しで信じ込みで頑張れる関係のやつ。「プラシーボ」っぽい感じの。「高価すぎるバッグ買ったら好きの理由探しまくる」感じの。それはむしろ自己防衛か。

ともあれ賛辞は足りないんだとおもう。お中元とかお歳暮とか年賀状とかお年玉とかが足りないのと似た感じで、投票率が足りない感じで、人への賞賛が不足してる。どうして賞賛が少ないって、やっぱ競争社会のどん突き、なんですかね、など。

自分のできていないことは一旦棚上げして、常識マイスターみたいな立ち位置に立って、他人の出来ていないところ、近隣の人の迷惑なところをあげつらってって、それについての不備を指摘して回って、それでいて表上は事なかれで暮らす也。
またあたかも多才のマルチタレント気取りで、自分の方があいつより〜なのにと、厚遇にある他人と自分の偶々の不評を思い、運を呪って、ヘソを曲げて暮らすばかり也。
見たくないような、知ってしまえば自分の気持ちが追い込まれてしまうような真実に触れるにつけ、それに対しては空想で生み出したネガティブなラベルで封をして、否定に必死。それはひとつ確立した絶望しないための方法なんだとおもうけれど、だけど、こればっかりの人生ってのもどうなのかナリ。
へそが曲がってるのがデフォですよみたいな感じってのはなんとも切ない人生の過ごし方。

優れているものは優れている、手本にするものはする。憧れるもんは憧れる。で、褒めるべきは褒める、が基本姿勢で生きてたい。壁にシドヴィシャスのポスター貼る勢いはやっぱり大事。穢れのない賞賛。

簡単に一言でまとめると、素直でいたい、ということなんだけど、多くの人はそうは願わないものなのか。素直でいなくても自分自身を拗らせない、なにか秘訣でも持っているのか。

シド・ヴィシャスの全て VICIOUS―TOO FAST TO LIVE…