役割上、ワールドワイドの方のウェブの関係のことをなんとかする役割をおおせつかる機会が多いので、同領域と近辺領域について感じるところが沢山ある。
いまそこにある色々な要求がなだれ込み、未来志向ではなくあくまで過去の経験と無難とにとらわれる人・局面に絡まざるをえないシーンが多い。
こういう環境では、色々なことをとりまとめてthe成果やtheアクションに結実させることは、バッカみたいに面倒くさい。遠回りばかりする。わざと間違ってみせることも数限りなし。支払う無駄は相当な量。いっそ「独りなら・・」と思うこと約2万回。だけどこれは根本的に間違い。もし独りだったなら、もし色々な人物や色々な思い込みや色々な謝り、また要求がなければ、そもそもクリエティブやこだわり、また仕事そのものなど、存在の仕様がないのだから。
各人同士の間のそれぞれの国境では、権利意識、美意識、信仰、信念なんかに基づく小競り合いが絶え間ない。この意識の違いがあるから、警備だ、戦だと言っているのであって、この戦が仕事そのもの。「みんなで一致団結して・・」とか「ひとつの目標をめざして・・」なんてものは存在しない。戦略家や戦術家や武将や将軍や伍長や一兵が入り混じってそれぞれの正しさと勝ち方が絶対に正だと信じ込んでる。なので「勝利を収めたいよね。みんな一緒だよね。だからこうしよう。」という共同戦線はまかりならない。半ば残念だけど。そういう背後事情から、必要悪的に存在する仕事ってのもいくらかあるとおもう。だもので、まあともかく独りでは無いからこそ仕事があるのだなと。いろんなものを包含しながら自分に言い聞かせて暮らしてる。
んで。だ。
色んな者が色んなことを言う関係から、座組みや進め方や誰が進めるかということに腐心してきた。腐心して工夫してアレンジした依頼先さん自身の不出来で自爆したりすることも多々ある。また腐心以前に、詐欺まがいのデタラメサービスに巻き込もうとする売り込みも沢山ある。
そうそう。
ところでこれはマーケティング活動その一環として主にウェブのお話。
ありとあらゆることを丸と一丸に丸めて、あとは宜しう、と頼むことができたらどれほど楽だろうと心底から願う日々。
実は、こういったむちゃくちゃを頼むこんとのできる便利な先さんというのがあるにはある。大手の広告代理店。ここに頼めば概ね好く収まる。もちろん万能というじゃないしその影響範囲も無限大というわけじゃない。だけど他の選択肢と比べるとかなりこちらの作業負荷と心の負荷が軽減される。素敵だ。とはいえそこはまた費用の兼ね合いというのがある。代理店のマージンは低くはない。(むしろ結果的に総費用が重しになって、プロジェクトがスムーズに進むという側面もまたあるがそれはまた別の話。)
代理店に頼むと担当者としては、創発的な感じもありつつ楽だけど、反面で多大な費用が生じるので、そこがネックになる。より効率的な広告宣伝予算の運用方法模索という使命があるので常に広告代理店に依頼して楽ばかりを選んでいられるわけじゃない。形のない「楽」に注ぐ費用を媒体費に投じたらあとちょっと集客があるんじゃないかとつい夢見てしまう。
そんな事情も背負ってしまっている手前、広告代理店に頼らず自らが広告・PRのプロジェクトのハブ機能をに担い、あまたある中小の独立系や、子会社系や、専門会社やプロダクションへ個々別々に依頼を出す必要に迫られたりする。これらを選ぶメリットはともあれ価格がぐっと抑えられること。デメリットは、とにかく手間と時間とがかかる。なにせ丸っと一個を、細かく複数個に分けて小さなプロジェクトやタスクを立てて管理をしてゆくわけなので、高密度な処理能力と記憶能力が求められる。またなにせ相手は職人さん、だ。こちらの意図を汲むという点では甚だ心もとない。法律とビジネスとクリエイティブとシステムとプログラムの経験とスキルも一定量求められるし、それに対話術的なことや社内での存在感、判断のバランス感覚、センスが求められる。
実際、発注側だけで常時5〜10社くらいの取引先があり。その手前段階、まず話(セールス)を聞くだとか面識づくりというのなら100や200社じゃきかなくなる。失礼は承知だけど、当然先方のことなどいちいち覚えていられない。日々是健忘也。代理店にまるごと依頼するのがどれだけ価値があるかということがよくわかる。
細かく砕いて注文してゆくスタイルについて話を移す。まずはなにはともあれSEOだ。
経験上、単独でこれで成果を出せる会社はないとおもったほうがいい。サイト内部施策ガー、比較サイトガー、などと提案きたりするのだけど、結局はピンボケばかり。なぜかというとSEOを売り込むから。本来こちらにおいて必要なことはワードそのものを売り込みなのにね。まあなににせよ、思考の底が浅く、結果として思う成果は出ないんで発注はやめておくべき。
さらにここから詐欺まがいなんだけど「成果が体感できるまでにおおよそ6ヶ月かかります」とか「6ヶ月後に解約されたお客様はxx%以下です」とか。「はっはーん半年後はペルーにでも高飛びだな♡」って台詞が当たり前に出てくる。SEOは内製するほうがぜったいい。それと。この手の会社、マナーが悪い。ちょっと前なら「外部リンク貼りまくります。ウチは5000万個サイト持ってますから」とか今いまなら「Yahoo!ジャパンのどこそこに掲載保障。貴社だけ!いまだけ!さらにキャンペーン価格!」ってやつ。そういう営業電話が、時を同じくして複数の会社からひっきりなしにやってくる。そしてそういう会社はアタックリストの管理もできてないから何回も連絡してくる。そして毎回スクリプトも同じだったりする。「オタク今回で4回目くらいですよ」って毎回入れ替わり立ち替わりするテレマ人に教えてやらなくちゃならない。先方「あっスミマセン」だって。どうして此方が先方のリストの管理のお手伝いしなくちゃならないのか。本当に始末におえない人たちが提供しようとするサービス、その合言葉がエス!イー!オー!
続いてリスティング。これもSEOほど酷くないけど、大差なし。
自社で知恵を絞ってやったほうがよほど成果につながる。社内の担当者は忙しかったりするので、外注したい。でも外注すると何が起こるって、広告の成果を生み出す取り組みよりも先に先方都合の「データ収集」がはじまっちゃう。さすがデータ・サイエンティスト。データ収集に余念がない。が、依頼主というのは成果、この場合はインバウンドを獲得することが目先の目的ですからね、最終的に「はっデータ?しらねーバカヤロウ!手前の会社のデータ収集になんでこっちが数百万もお金払わなくちゃいけないのよ」って関係性に陥っちゃう。そういう議論をすると、CVは難しいけど露出数なら頑張りますという折衷案が浮上して「(データ収集のための)大量露出」っていう下らない施策をもってくる。なんのことはない、節操なく広告をバラまきまくる。全く見込みのない客を大量に送客してくる。こっちがせっせと筋肉質にしてきたのにCPA台無しだし、大量の見込み薄を捌く仕事は誰がやると思ってるのか。
そんな感じなので、できるなら自社で賄うのが吉。ちなみに彼らもまた営業コールがナンセンス。「リスティング広告拝見していましてお電話しました」と電話してくれる。はあ。「結婚指輪してるの見かけたのでプロポーズします。」くらいナンセンス。
さてさて、プロデュース業。なにもしない業と言い換えてもいい。
サイトを作るだとか広告物を作るだとか、そういう事柄にプロデューサって人を立てるのだけど、これがもうほんとうになにもしない。動くは顎ばかりなり。どこにでもいるマウンティング病の人。実働で何の役に立たない割、仕切りパートだけは決して手放さず、邪魔な障害になってしまう。またローンチや広告成果など手柄パートだけを虎視眈々睨んでる。居なくていい人に手柄もへったくれもないのだけど・・・。だのに!請求書の一行目に全体費用の20%くらいの額面で記されていたりする。恥という言葉をしらないのかな。
本来プロデューサなので、ビジネスの成功やプロジェクトの成功を求めて、世の中に一石を投じる企てを描き、この協力者を求めて動き回るところが本来の役割のはずなんだけど、技術もしらず、クリエイティブもしらず、世相トレンドもしらず、単なる内部手配すらもままならず。職業名のあいまいさに隠れて、学習や習得から逃げまくった人の終着点。たかだか社内の制作スタッフの交通整理もできない程度の職業人がなんでプロデューサなのか理解に苦しむ。
なんか色々ありますがとにもかくにも「スポンサーに言わせるなよ」って感じ。
さてさてさて。ディレクション。
ただただひたすらに目線と質が低い。プロデューサに紐になってるせいもあるのだろうけどそもそも才能ない従事者が多すぎる。どれだけ地味に無難に要件を定めても、その期待値を3割減して打ち返してくる。それから基本的に納期間に合わせないひと多い。そもそもビジネスについてや顧客について無理解のひと多い。
ここもかなり何かの巣窟。
コピーライター。いいですよ、これは。絶対に依頼するべき。
この職業をやれているもともとの母数が少ないのだけど、素晴らしい人が、いる。よくぞここまで考え抜いてくれた、よくぞこのメッセージを見つけ出してくれたって、感心すること度々。プロとして仕事をよくしてくれる。何も無かった場所に、コピーを起点にしたアイデアとクリエイティブがわっと広がる。心の底から有り難い。感謝と感激。この職業の出来る方のひとになら、もう幾らだって払いたい気分。
デザイナ。必要不可欠です。
広告なんてなれば用件としてデザインが占める部分が量的に多いのだけど、その分量について発注側が自覚を持ってる場合は少ない。「適当にちゃっちゃとやっちゃってよ」とかいうバカが発注側には多い。といってデザイナを擁護するわけじゃないけど、デザインって仕事は多いし、また効くので、大事にしなくちゃいけないなと。
反面で、デザインの受け手側、殊ウェブ系のデザイナには独特の筋の悪さというのがありまして。ユーザビリティガーとかいうんですよ〜。なあ〜にい〜!やっちまったなっ。だ。
自分の頭でなくどっかの誰かが体系化したものの劣化複写のような屁理屈で理論武装して全く魅力ない詰まらないデザイン物をこちらにねじ込んでこようとするのは本当辟易しますのでやめてください、やめてください。でも極まれにまれに素晴らしい人に遭える。遭ってきたからわかる。出来る人は本当に脳内がクリア。ビジネス事情の理解もスムーズ。先回り力も優れる。なにからなにまでよくできてしまう。そしてこの出来る人が、プロデューサやディレクタというぶら下がりに飯を食わせる係をしてる。かわいそうだとかどうだとかいう域を超えて、貴重な資源への冒涜に怒りを覚える。
デザイナの良し悪しは、ポートフォリオではなく、会話の時の回転速度を見ればだいたいわかる。あと身なりを見ればわかる。ユニークな格好してたら、避けよう。
インフラ・システム、プログラム。これも役割上は不可欠。
だけど、これはという人物は見たことがない。だいたいサイトの機能は別のレイヤで話し合って固める場合が90割。なので彼らは機能のプロではない。じゃあというので流石のプログラムなんてのがあるかといえば、それはあるはあるんだろうけど、素人にはわかならい。で、流石のシステムというものがあるかといえば、アナログの現実組織を前提に系の設計を根本から創造し具現化できる人格はまだ会ったことがなく、またいわゆるシステムとしては動作してる限りにおいて流石なのかもしれないけど、だいたいの場合は動作しなくなってはじめて流石でないことに気がつくというのが通例なので、あまり期待を寄せるものでもない。(もちろん大事なんだけどね)
デスマーチが言われる業界だろうけど、それを産んでる事情の一端を、自分たちの設計力に帰している模様は見たことがない時点でお察し。
また社内システムも含め、システム関係者の割合多くが、新規の要件や追加の要件に対して「迷惑顔」をする。そもそも自分がプロジェクトに必要とされる処理の系を見落としたか見誤ったことを棚にあげて迷惑顔って・・それだけでもうその職業観のスケールの小規模さに、社会人としての不適合っぷり。
最後にクラウド・ソーシング。もうね、面倒だし、期待しちゃだめ。やろうとしてることによるかもしれないけれど、ともあれ価値のあるものを作ろうとしてるんなら、顔見て話し合うことなしで作れるものなんか所詮最初からその程度のものってことだから。
これが全部じゃないけど、これらをやりくりして、何かをうまく達成する不合理よ。この、ろくでもない素晴らしい世界。