なにもしないでただボンヤリと過ごしていればいい、そういう場面は割に多いように思う。
ボンヤリしているだけでいいなんて!無茶苦茶理想的な夢のような状況なんだし、夢ならば覚めないで欲しいほどの幸福。

_DSC0365

ただひたすらにボンヤリしてればいいだけの状況というのは、概ね、「時間が解決する」かまたは「外的要因が100%なのだから自分が気を揉んでみてもなにも好転しない状況」というようなところだとおもう。そんな時には気を長くして、足掻かず、争(あらが)わず、煩わずにただそこに居ればいい。
具体的には、たとえば窓ぎわに腰掛けてガラス越しにボーと外を眺め18時の終業を待つ、というような。あるいは就職活動、二次面接を終え、採否の連絡は2週間後というような。

待つこと以外にやるべきことがない状況では、自分があくせくとあれこれ考えを巡らせても状況が変わらなかったり、急いでも、努力しても、個人としてはどうしようもないわけだから、たとえばTVゲームでもするか、漫画でも読むか、寝てるか、絵でも書くか、なんでもいいからボーとしてるのが一番の正解。

ボーとできる人にとってボーとできる状況の到来は心理的に非常にポジティブなはずで、それは、ボンヤリと時間をやり過ごすだけで手が届かなかったちょっと高所の果実が勝手に落ちてきて手に入るというような美味しい状況。
とにかく時間経過か先方都合のどちらかが自分の望みに加担してくれる場面がこの世には存在するということである。「棚からぼたもち」とかいうやつはこの世にある。そういった仮説を持つことは罪でもなんでもない。
時間の経過を待つ、嵐をやり過ごす。そのためにボンヤリのスキルを身につける。するとストレッサーをスルーする力が上がるはずだしスルー力が向上した結果心身をすり減らすストレス本体も減る。禿げたり、太ったり、肌荒れしたりせずにすむ。それに加えてボンヤリと時を暮らすその大勢との人間関係を改善さえする。

だというのに。だ。
暇を暇として、退屈を退屈として、不足を不足として、ダサさをダサさとして、無力を無力として、ある姿そのままを自分に受け入れるという簡単なはずのことが、なかなかどうして難しい。すぐに憤ん怒っ!と苛立ってしまう。どうして湧いてくるんだろう、ちんたら歩く人へイライラするこの感情。イラついたって一個も得なことはないというのに。そもそも先を急いでいた訳でもないのに。謎だ。損だ。自死だ。

ともあれ。
みなさんにおかれては、暇をたのしみ、退屈をうけいれ、ちんたら歩く人をみて歩度を合わせる余裕をお大事に。