今週は適度にサボることができた。自分で言うのもどうかとおもうが、根が勤勉なのでかなり意識してサボらないと身が保たない。


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既存の商品の刷新、来年度から開始となる新市場へ向けた新サービスの発表など諸々あり、マーケティングのプランと仕込みとに奔走中。まあ、毎度のこと。

このなかで商品企画と、サービス企画と打ち合わせして、コンセプトや要点、主張を引き出してまとめるのだけど、このなか想うのが「みんな仕事での自己表現がヘタ」ということ。

胸中にある想いを言葉にしてはき出せる職業人は、思いの外少ない。母国語が不自由とさえいえる。そういう人の割合は体感でいうと8割強じゃないかとおもう。彼らが言葉に表しきれない「何か」を探り、骨格を与え、肉付けをして、なんとなく形と言葉を与えてやる。これはほとんど心理カウンセリングの領域なので、この作業だけでかなりの時間と労力を失ってしまうことになる。マーケティングの仕上がり度合いとしては「最低限」。

反対に母国語を普通に駆動して表現できる2割弱の人たちは、やっぱり頭が冴えていて、ロジカルに商品の利点をプレゼンテーションしてきてくれる(上と比べると、むちゃくちゃ楽!)。「何をどう考えて商品の仕様をこのようにした。マーケットに対して斯く斯く云々のインパクトを見込んでいる」と。
この辺の「一担当としての考え・睨み」の共有が済んではじめて、マーケティングとしての対消費者を容れた目標設定の話が成り立つし、マーケティング戦略・戦術の話が進むし、広告・PRなど表現物について正・反交えた議論が始まる。そんなわけなので、先に上げた8割強のプロジェクト等と比較したとき、仕事の品質は一段上の物になる。

どうしてマネジャーの8割が自分のプロダクトを表現できないか。それは普段から考えが足りないからということに尽きる。考えが足りないというのは、商品の仕様設計を何となく決めている、市場での位置づけをロマンで描いている、叱られないようにやろうとか、それらしいものになってさえいればいいだろうという風にしか思考を働かせていないからということ。他と比較する、詳しく分析する、無駄をそぎ落とす、そういった(底が深く酷く面倒な)思考作業をサボって、ただ漠然と時間の流れに同調しながら、リリースの日を待っているから。
この待ちスタイルは、厳に未来のユーザと未来の生活シーンを満足させる、そのために機能、性能、価格、流通を設計しようとする2割弱とは明らかに暮らしのスタイルが違う。スタイルの違いから質の違いが生まれ、質の違いから言語の自由度の違いが生まれる。
表層側から切って捨てるのも乱暴ではあるけど、おおむね、言葉にならないということは、経験が無いということであり、経験が無いということは必要な思考行程を行っていないというのに他ならない。

気の毒なのは、言葉をもたないプロジェクトマネジャーにあずかられてしまった商品・サービスだ、など。その次に気の毒なのは、消費者。その次くらいに気の毒なのは、思考欠落を手当的に補い、それほどよくは仕上がっていない商品をマーケットにリリースしなくちゃいけないマーケティング担当の自分だと想う。

でも、今週は、サボった。