平日の午前7時30分ごろ。混み合った喫茶店で朝の時間を過ごしていたら、突然、怒声が響いた。
「タイミングちゃうんかいっ!?」

どうやら入店間もない新参のおじさんが、空席待ちの列を無視する格好で、偶然できた空席に滑り込むように座ってしまい、空席待ちの列の先頭の客から「皆並んでいるから並びなさいよ」とたしなめられた。そういう模様。
この先頭客からの指摘に対する新参おじさんの回答が「タイミングちゃうんかいっ!?」だったようだ。
くれぐれも、割り込まれた先頭客が怒鳴ったのではなく、割り込んで咎められた側が怒鳴った構図。

一般的な通念として、大勢の客が列を成して待っている状況があって満席の喫茶店の席に着く、そのことにタイミングなどというものは基本介在しない。
社会的行動様式のひとつの完成系として起立して空席の順番を待つ、その思慮ある人々を尻目に着席する、その理由が「タイミング」だなどといったことは文明史来初の出来事ではないか。果たして彼は文字通りエイリアンかモンスターではなかろうか。

ところが実は、この後の顛末として客同士のバイオレンスに発展することはなかった。別の席に座る先客が状況に割って入り、このモンスターを諫め、抱き込み、自分と相席させるという神対応で事態を収束させたからだ。

事としては、たったそれだけのことだった。のだけど、どういうわけだかその後しばらくの間目にした一連の騒動と「タイミング」という言葉が頭にまとわりついて離れなかった。

そうして数日経ったある日、ふっと全てが繋がった気がした。ああ、あれは期せず発生したノリツッコミのコントだったんだ。


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一聞、暴論にしか思えなかった新参おじさんの「タイミング理論」。モンスター野郎めが、と斬って捨てるのは簡単なんだけど、なんとなーく胸中に残ってしまって、結果的にイメージを膨らませる作業にかかっていた。すると、なるほど暴論にしか聞こえない内容にも筋道というのは作れなくはない。

筋道があったとしても行為が正当化されるわけじゃない。けれど、それでも、何が言いたかったのかということに思い巡らすことは楽しい。大分言葉が足りなかったという事実に確信を持つことは楽しい。
こういうことだったろう、と振り返る。

喫茶店には二人掛け1席の席というのがたくさんある。
そして、満席とはいえ二人掛けの片側にしか人は座っていない。
もしどうしても座ってコーヒーを飲みたいのならば相席をお願いするという選択が、あるにはある。
文化圏によっては、断りなく、二人がけの空いている方の椅子に腰掛けるスタイルもあり得るかもしれない。
ということを前提に以下。

混んだ喫茶店で相席するのは『彼の文化圏では』当然のことであり、座ってコーヒーを飲みたい連中は誰でも皆そうしている『に決まっていると彼は想う』。
だから、立ってコーヒーを啜ってる連中というのは、急いでいるだとか、好んでだとかそれぞれに考えをもって起立してコーヒーを飲んでいる『とそう見なすのが極自然であると彼は想う』。
そう想う彼が、座席は満席で、大勢が起立してコーヒーを飲む「場」に出くわした。できたてのコーヒーを手に、相席でもするかと思っているその時、たまたま一人の客が席を立ち2/2の空席が一つできた。
たまたま彼は『別に相席でも構わないのだけど、できれば2/2空いている席の方が好きだから』たまたま空いた2/2の空席に着席した。
そういう『タイミング』で部屋へ入ったのだから、少々負い目は感じるものの、当たり前と呼べる範囲内の行動をとったまでだ『と彼は想う』。
だというのに、だ。自分と同じに2/2空席に座りたい東京なんかのクソサラリーマンが話しかけてきて、空席を待っていただのと、女々しい難癖をいってきやがった。『すっごく腹が立った』。
だけど、一寸待てよ。並んで待つとか何とかいっている。さて周囲に目を遣れば、女々しいんでもなく紳士ぶってるんでもなく、実際に立ち飲み客が10名弱整列している。。。ここは率先して相席を取りに行くスタイルじゃなく、皆が並んで2/2の空席を待つ文化圏らしい。ということはつまり解ってないのはオレの方だったらしい。いや待てよ、もしそうと知っていたならオレだって既に1/2埋まっている席に相席したはずだわ。だから俺は悪くない。今更引っ込みもつかない・・・どうしよう。なんかわかんないけど『すっごく恥ずかしいし、それになんだかすっごく頭にくる』

この一連の帰結として出てきた言葉が
「タイミングちゃうんかいっ!?」
だったろうと察する。これならなんとか状況と言葉との乖離が埋まる。

つまり突如発せられた「タイミングちゃうんかい!?」のキレとおもぼしき怒声は、自らしでかしたボケを隠すため咄嗟に繰り出した予告なきニュアンスなきノリツッコミだったろうと思われる。唐突が度を越して、もはやナンセンスモノの展開といってもいい。
「もしもし。お並びなさいな。」の振りに対して「タイミングとちゃうんかい!?」と突飛なのがきたら、どんな受け手でも「?」としかなるまい。もしも「タイミングとちゃうで、困るわ君」の冷静を保てたなら相当の手練れだ。ましてや「そのこころは?」への正当はまず無理だ。
なのでこのあまりに身勝手なノリツッコミに巻き込まれた側は、不憫としか言いようがない。いきなり現れた運転の下手な車両と社会通念という名のガードレールとの間に挟みこまれ、一瞬にして、巻き込み事故の被害者となってしまった。

さりとて、恥ずかしい新参のおじさんの側も、とっくに状況は承知しているとはいえ、大声で盛大なノリツッコミをかましてしまったため引くに引けない。状況がわかり、文化がわかり、願わくばそれに従いたいとしても、それでももう後に引くことはできない。つまりもう相手が文化について、ルールについて、倫理について、道徳について、理由について、どれだけわかりやすく説明したとしても、それらを受け入れることが心情的に、立場的に、見栄的に不可能なのだ。なにせ正々堂々衆人環視の下で歌舞いてしまった後なんだから。
じゃあどうする、じゃあどうする。グヌヌヌヌ・・・。

こうなってしまっては、解決策は天才的なノリツッコミ・ツッコミしかない。見事なオチに昇華させるしかほかに無事はない。といってももちろん初めて会う二人のおじさんによるコントに無事なエンディングなどあろうはずもない。ただにらみ合いただ罵り合うだけの目も当てられない素人寸劇がダラダラと続く。埒のあかない胸糞の悪いこの状況を美しく昇華する術は、当人らにも周囲にも、ありはしないのだ。

最終的には、冒頭に書いたように第三者のおじさんの博愛という無難によって当事案は収集し、一応皆が救われるに至ったのだが、今振り返ってまたたっぷりの時間をかけてみても、このコントに幸福なオチは思いつかない。