二、三年ぶりにいろいろな人と会い、話を伺い、対話を重ね、ばたばたしてます。2016年も滑り出しからバタつくマブさんです。
三、四件のややこしい件があり、これらの内訳を見ると、経営的、事業的に成長をしたいということでは皆一致しておるのですが、当然各所において悩みがありその悩みというのは往々内部闘争の類いであったりします。
ま、大人同士が寄り集まってナニカをしているわけですから、「理想が違う」「方法が違う」「プロセスが違う」「なんか違う」と道程において様々の意見の衝突というのはあってしかるべきなのですが。でもこの差異、もしくは差異の主張合戦が、過度になってきて収集つかず、果ては内紛の解決がひとまずの目的と化す状況に陥っておられるのはいかがか・・と思うことしばしば。
この内部紛争の戦いに敗れ、あるいは疲弊を極めてそして諦めて、独立やフリーランスとして活動する人を幾人か知っています。彼らの気持ちはよくわかる。よくわかるものの、対局だけをつまむと、国家分裂時のルーザーという史実が刻まれるので、独立した以上は絶対に成果をつかんで欲しいものだとおもいます。と、ちょっと余談になりましたので話を元に戻します。
さてよ。事が商売であるなら、本来は大目的とその組織に内包される大人たちの一人一人が全員その気持ちとエネルギーを「外」へ向けて、顧客の満足なり関係者の笑顔を獲得することを本懐としたいところであります。
内輪の内輪による内輪のための経営・業務改革などというものはもはやそれそのものがコストであり販管費でありお荷物であり反社会的取り組みなのであります。管理部門よりも、物流部門よりも、宣伝部門よりも、そのほか販管費よりも、もっとずっと後ろ向きの、負債処理業務といっていい。私としては悪意を以てこれを数値化して、グラフ化して、値を営業外損益の項にそっと仕込みたい。
しかしながらこの反社会的取り組みが、目下、私の身の回りの各所でホット・キーワードという時勢です。組織の宿命か、時代の趨勢か。市場環境におけるパイの食い合いの頭打ちとその内部転嫁という文脈も当て嵌められなくもありません。そこの比喩なりコンテクストが、または真の原因がどうあれ、内部紛争の事態収拾家が求められる、そのようなケースが現実に目立つように感じておる次第です。
個人的には、できたらそんな火中の栗拾いに身を投じたくはない、もっとさわやかにさっそうと前進に生きたいと、悟りきったゆとりきった面持ちを保って暮らしてゆきたいですが、いい歳にもなるとそうもさせてもらえないようです。
ところで。ポッキーのテレビコマーシャル、あれはそのマジでやってんですかね。仕上がりのダサさに圧倒されて「ねえこれうそだよねシュール狙いだよね」となっちゃいます。もしもかりにあれがマジなら日本の未来が心配です。