君の名は、スター・トレックBEYOND、シン・ゴジラ。どれもこれも観ていない。
それは何故か。落ち込みに傾斜かかってゴロゴロゴロ真っ逆さまだったからだ。今はかなり平静。


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どうも私の生涯には、仕事運というものがないらしい。
売上利益とお金を増やすことに関する目標はあれど、「こんな風な社会的機能を果たしたいよね」というビジョンが無い。
また(ビジョンがなければ当然なのだけど)達成と行動のマイルストーンがなく、組織と呼ぶべきものがなく(それはそれで近未来的ではあるが)、上司もなく、部下もなく、チームもなく、仲間も無い。
旧態依然として転げ落ちそうな現場には今にも転げ落ちそうな経験者はいるが、(言われて久しい、久すぎて口にしたくも無い)IT、デジタルを経営と事業の資源として重視し最大限活用することが普通の世界を生きた経験者は無い。
無い無い尽くしどころではなく、旧態の勢力との戦いもあり、暴力的と言える追い出しもあり、またさらに悪いことに新興勢力にビジョンがあるわけでもなく旧態を追い出した後の事もまた計画されていない始末である。
過渡期といえばそんなものなのかもしれないが、二個二種類の無見識と感情論がテーブルの下で蠢き、ぶつかり、混じっては離れを繰り返している。

さてよ私。制作業を経験してきた手前旧態勢力の言い分はわかる。わかるがそのヌルさは相当ひどい。方やITベンチャーを経験してきた手前、新興勢力の申し分もわかる。わかるがその方法論のハリボテっぷりには相当呆れる。
と言いながらも、役割を果たしたいと思ってきたが、やはり壁の高さは相当のものがある。昔新書で話題になった養老孟司「バカの壁」があるが、その壁と直面している。
狡猾に、老獪に状況を理解して立ち回ることが私にできたなら悩みはしないのかもしれないが、何ぶん愚直が売りだものでそうはいかない。
そそり立つバカの壁を目の前に、ぴょんと壁を翔び越えられない脚力のなさ、どかんと壁を破壊して世界を変えて見せられない腕力のなさに、自分の力のなさ、惨めさを抱き続けていた。
ともすると当該の壁は私自身なのでは無いかという疑心暗鬼にまで至ってしまった(今はそうは思わない)。どうも愚直は、評判通り損であると思う。

果たしてここの場に私の役割、仕事と呼ぶべきものはあるのか。無いなら去るのがお互いにとって都合が良いところだ。
壁へ問いかけてみれば「ある」という。私から見ると「無い」に見える。真反対の解が出る状況というのは、双方の理解がなんと乖離していることかを示しているように思う。
今すぐに金が欲しいと言う要望がありつつ、もう片方では未来の繁栄を担うビジョンを創り出し共有するために過去から現在に至る世界に関する理解の摺り合わせから始めなくてはならない。この矛盾を解消できる画期的な発明が必要である。そのことについてここ一週間ほど考えてみたが、まだその発明品は手元には無い。発明の片鱗すらも無い。