2日目。木曜08:00のタクシーを手配した。全国タクシー配車APPにて。全国とは言いながらも沖縄対応どうだろうと心配したけど大丈夫でした。ちなみに母親が電話で予約しようとしてたけど、どのタクシー会社も電話に出てくれなかったそうで。APP便利だな。
木曜日の朝7:50ごろ。時間前になると配車状況の通知がくる。当該のタクシーが今どの辺りに来ているよって、App内の地図で表示されるのですごく便利。結局、定刻10分前に、赤十字病院へ向けて出発できた。
沖縄ならでは、朝のクソ渋滞はあったけど、バスレーンを爆走して快適にドライブできた。

IMG_0770

病院のHCU。HCUとは高度治療室。面会可能な09:00の10分前のベンチに。インターホンで看護師さんを呼び出して、誰それの家族だと告げ、HCUに入室できるシステムになっていた。
ついさっき2枚100円で買ったぼったくりマスクを装着してHCU入室。入室後は何はさておき手洗い。

看護師の案内に従い導かれたカーテンで区分けされたベッドの一つに父親が。今回は予告なしで来たので、親父は「キョトン」フェイス。
見た所、点滴はまだついてないが、いろんなチューブが青色作務衣を着た身体のそこかしこからニョキニョキ。今回の大目的は「顔見せること」。が、いざ顔を合わせてみて、実際問題話すことは特に見当たらない。大丈夫?とか心配したよ?とか頑張ってね?とかそういうフレーズは我が家にはない。この先も、ない。
寝れたか、とか。(点滴の)針痛えか、とか。アタマ痛いか、とか。手術費・入院費はいくらか、とか、着替えおいとくぞ、とか。そんな話しか出てこない。大体、元来、未来永劫、家族っていうのはそんなもんだろ?

そういう会話の脇で、うまいこと滑り込ませるようにして、看護師による術前の段取りがスタート。なにせ手際がいい。点滴注入を開始しながら、体温とか、バイタル各種とか色々点検を進めつつ、術後のフローを家族向けに。親父が点滴針がでかくて痛いとか、くだらないボヤき。このぼやきも看護師からしたら1万回目なんだろうな。

9:50にHCUから運び出されて、10時定刻に手術開始。そこから付き添いの者共は、HCU前のベンチで待機することになっている。とはいえ、だ。大人2名でベンチに張り付いていても、手術の成功率が高まるわけでもなんでもない。そんな割り切りで持って、母親をタクシーに乗せて一旦家に帰す。病院という環境も、家族が手術という現実も、決して良いものではない。この疲労により、頼みの綱の母まで倒れてしまったら元も子もない。何にせよその事態は避けておきたい狙いで、無理やりタクシーに詰め込み送り返す。

あとは一人でベンチを温める。少年ジャンプを手にとって見るも、何にも入ってこないのは、この状況のせいなのか、ジャンプがくだらないせいなのか。

ベンチを温めること約1.5時間。11時30分。担当の看護師から声掛けあり。手術は順調に推移しており、患部の縫合?にかかっているというライブ中継だった。このまま進めば12:00頃に術後のMR検査が終わり、医師から家族向けの説明を受けることができるという。3時間の見込みが2時間で済むので、医師の説明を聞かずとも、それだけ色々順調であったことがうかがえる。

さて医師からの説明だ。
右側硬膜下血腫の洗浄、排出は無事に行われた。これにより頭痛が低減するかは今後の様子見。痛みが低減しない場合には、左側硬膜下血腫の処置を行う。ただし頭痛と硬膜下血腫の直接の関係はまだ不明。いわゆる通常の頭痛である可能性も否定はできない。その場合には痛み止めなどの処方となる。また、今回の硬膜下血腫の手術のために使用を控えた抗血栓薬(血液サラサラ薬)の使用を今日明日にも再開するということ。また硬膜下血腫は再発するケースがあり、再発の場合には概ね3ヶ月以内に再び現れるので、再発の決着は短期で判明するということ。
なお、脳を切ったり触れたりしていないため、所謂後遺症というようなものは心配いらないということだった。
総じて予定通り、無事に終わったと受け止められた。

医師からの説明の後、本人面会。
処置した右側を上に、左手側を下にして、ベットで横たわる。頭からはドレーン。血腫を洗浄した後の血だまりを排出するためのもの。声掛けには良好に応じていて、「麻酔が効いていて今は痛みがないが、麻酔切れがこわいな」と比較的しっかりした内容を話す。事前に予想されたせん妄も見られず予後良好に見える。ただ麻酔のせいか瞼が重く垂れ、眠そうにしていた。面会時間わずか2、3分で、切り上げることにした。

こういった内容を家に送り返した母親へ報告するために電話を鳴らしたところ、「ごめんねえ、動けないサア・・・」と弱い声。ああこりゃダメだということで電話での説明を「無事完了!」とだけして切る。

ともあれ、いろいろなことが順調に進み、また自分が顔を出した甲斐も多少はあった、そんな気がする1日だった。無事の安堵を胸に病院を後にして、「さあて喫茶店にでも入っていっちょ落ち着くか」と思うも何だか色々なセッティングが合わず。「これ、なんの時間やねん!」を連続3店舗ほど繰り返した。そこそこ頑張り、そこそこの成績を出したにも関わらず、おちおち喫茶もさせてもらえないとはなんたる報い。

夏本番とは言えない梅雨明け6月下旬の沖縄の日差しは、めちゃくちゃ厳し買った。1kmも歩けば焼かれてヘロンヘロンになってしまう。ここでいう「焼かれて」は「日差しで」焼かれるニュアンスではなく、フライパンとか鍋で焼かれるニュアンス。はっきりと身の危険を感じる。與儀から興南そして久茂地へとテクテク歩くも身の危険を感じタクシーで帰宅。沖縄の酷暑は、やっぱりなかなかのものだった。