今朝、目覚めた瞬間に出社モーションに入ろうとしたら、土曜日だった。幸せすぎた。
土曜日。RCヘリコプターの操縦を教わる。GPSが載っかってて、ホバリングも自動。と聞けば楽にちがいないと予想していたのに、実際はなかなか難しい。上空ではあっという間に思っても無い方角へ流されてしまうし。着陸は狙った地点から5Mは確実に余分が必要な感じだし、慎重にやらないとヘリ本体をこかしてしまう。グヌヌ。
で、「ああちょうどオレも操縦中」って人はあまりいないだろうけど、これは扱いは本当気をつけるべき。なんだかんだいって、50M上空の風は読めないし、突風もあるし、自損の可能性は結構あるようにおもえる。し、それ以上に、地上の人や動産不動産にぶつけてしまうというのは、どれだけ操縦に熟達してもつきまとうとおもう。
自動車の運転をしたくない。できるようになりたくない。よしんば運転できたとしてそのことは内緒にして暮らしたい。移動手段をやるというのはとても忙しいことだから。なのに。山梨東京間をロングドライブするはめになってしまった。ツッ。噂には聞いていたけど、山梨は葡萄畑が沢山あって風景が面白かった。ドライブにはいい。
note がリリースしたというくだりを相方から教えてもらった。けどそれが何か解ってない。有料メールマガジンみたいにコンテンツを売り買いするということなのかな。
健康って大事よね。生命って続くと嬉しいよね。人や自然から受ける感動って代え難いよね。だのに。短期的な満足なのか欲のために小銭を拾い集める事に夢中になって代え難いことの全部をかなぐり捨てるよね。なんなんだろうね、馬鹿なのかな。
身のこなしのひとつ重要なこととして「軽快」さってあるね。「颯爽」とかも近いけどそれともまた違って。このあたり、重要度は一見そうでもなさそうなだけに、かなりちゃんとしなくちゃいけないとか、たまに思いなおす。軽快、だといいよね。
facebook のインターフェイスが変わったみたい。大きな変更ではないけど、ちょっと違和感。直ぐに気にならなくなるとおもう。
忙しいアピは、なんだかんだいって、有効な護身術なんだとおもう。寝てないアピも、勉強してないアピも、その流派の違う技なんだとおもう。その使い手が地獄のみさわなのか。ほんで、みさわという形で揶揄されてすらも、この人口は減らないってのはどういうことなんだろうか。黒帯クラス結構いるし。そいつら全員仕事できないのなんの。言い訳すごいのなんの。だから仕事ができないから護身を覚えるのか、それとも最初から護身をマスターするために社会人やってるのか、はたまた社会とは護身術を競い合う場のことなのか。わけがわからん。
いつもの喫茶店が、いつも冷え過ぎで、いつも凍えながらMBA打ってる。月読なのか。イタチなのか。
FBのタイムライン眺めてておどろいた。30もこえといて営利組織に10年もくらして、それでおなお「やりたいことをやる、それが『仕事』」って定義を捨てられない人、自分に対する性善説を疑わないひとって、おもったよりいる。カンブリア紀の生き物みたいに、モラトリアム紀の希少種として、生き残ってる。流石は全入時代の高学歴。目眩いのするダサさ。こいつはくせえッー!ゲロ以下のにおいがプンプンするぜッーーーーッ!!(ロバート・E・O・スピードワゴン)
他人のお世話になりながら、やりたいことを選ぶみたいな温い気分はせめて18歳か22歳の職業選択の段階で終わっててほしい。「アタシのやりたいこと」みたいなどうでもいい話はそのあとだ。
個人として、やりたい(最悪は「やってみたいだけ」なんだけど)ことがあるというのはわかる。が、それより一旦、今組織で必要とされる機能を担ってほしい。今目の前で忙しさでパンクしそうな人を一人助けてやってほしい。そのうえで、余った能力と時間で何してくれても構わない。
逆に、個人としてやりたいことの優先順をどうしても下げられないのならそれは出来る人たちに寄生してるにすぎない。出来る人たちがそれぞれ個人としての優先を下げて支払っている努力の成果をずる賢くすすり続けることをやめにして営利と向き合って単体で自由にサバイバルしてほしい。それは簡単に云えば、経営者にでもなって、個としてやりたいことをやって、それを仕事と呼べということ。赤字だろうが、なんだろうが、その分には本当の意味で勝手だ。
本当の方の意味で「やりたいことをやる」のは大変なこと。たとえば毎年いる野球がしたくて仕方ない何万名もある高校球児のなかで、甲子園に出て、スカウト受けて、プロになれる人数は何割だろう。そっからさらに注目の新人になる、で、現役時代を第一線でプレーし続ける一流の選手でやってけるのって何割。ってのと同じで、飛び出た目ん玉が逆に一旦引っ込むくらい、とんでもない実力と運があって、やりたいことやる。それはもうそれ自体が才能だし業だから、誰も止められない。止めるべきでも無い。
って、ひとしきり「やりたいことやりたいす。それが自分の仕事す!」の申し分を真面目に受け止めてはみたけど、そういうことじゃあなく。
本当の真実は、今の組織の中で完全に能力の足りない自分について「だって、ほんとは、もっとべつのことがしたいんだもーん!」って言い訳をしてるに過ぎないのよね。あーめんどくせー。
アニメ ピンポン観た。よくできてた。そういえばオレ天才カットマンだった。忘れてた。相方は星野だった。忘れてた。そういえばヒーローになる必要はないし、向いてないんだった、オレ。
ずっと有能を発揮する1名がいるわけじゃない。人生で15分だけ超弩級の主役を演じ間も無く朽ちてく奴がこの世にごまんといるってだけ。だから、大丈夫! そいったのが真実なので、そもそも能力が低いなんてやつはいないの。というか「能力」なんて定義はあってないようなもの。どっかで偶然チャンスがきて春に花が咲くみたいに自然に、発揮しちゃうの。成果主義って思想はさ、パチンコ屋のメカニズムと一緒で胴元以外のプレーヤーはだあれも安定的な収穫は得ないの。だから成果主義を云い始める経営者ってのは、どんなにヒューマンの皮被ってても、パチンコ屋が客を見るのと同じ目でみんなのこと見てるってこと。早めに気付けよ。
一、やりたいことをハッキリできない。もしくはトンデモ。
一、やりたくないことはたくさん。
一、他人の間違いを盛んにいう。
一、しばらくは様子見だとおもってる。
一つ一つは全然大した問題じゃないけど、重なって発症するとかなり深刻な拗れ。意図してか自然にか、既に隠居の準備に入ってる段階。
つまり、もう、枯れて、終わり。ってこと。
メーカーにいて思うのは、なんか、薄暗い。人間の質が。ぱっと見大学生みたいにノリよく付き合ってるように演じてるけどそれは出世のための交流のため・情報収集のため・はぶられる恐怖のためで、信頼なりが通い合ってる痕跡は見当たらない。信頼のない褒めが無数に横行してる。漠然とハイ・トーンで酷い曲調。官僚的。政治的。年功序列育ちのカルチャーだから仕方ないのかもしれない。
その点でいうとクリエイティブのひとたちはだいぶ協調的。素直。気さく。気のおけない会話ができやすい。
なんでだろって考えると、組織での出世が目的、デザインの技量が目的、みたいなところで向いてる方角や目指してる価値観がまるで違うからなんじゃないかとおもう。