オンライン・マーケティングと伴う広告宣伝活動を生業としてお金をたくさん頂いている身なんですけどね・・・
いいですか。いまから告りますよ。
Google+ がGoogle+ページに対して独自URLを発行付与してるって事実をいまさっき知った。
ひとしれず、やってみた。
そしたら、できた!
恥ずかすい。
できるだけいいわけがましくなく書いてみるのだけど。
さてよ、google+ はどれだけ浸透してるのか。いや、浸透してないでしょ。このあいだ google glass というものは失敗でした、という話題があったようにテクノロジとしては先行してて凄いプロダクトに違いないのだけど、その反面、一般市場的一般人にはどうかというと「はて?なんのことやら」と。そういうプラットフォームであることは拭えない事実。「『フォロー』って何かね?」「『サークル』って何かね?」用語すらが解らないのだから、当然利用メリットは見えづらい。自ずと誰も使わない。そういう状態がサービス開始来ずーっと。それがGoogle+でしょうとすら想える。というか想っていた。
Google+ てのは、アカウントとって、申し訳程度に「ページ」なるものを用意してみて、WPにプラグイン入れてブログの投稿を流して、Buffer経由のネタをストリームして。それで後はしっぱなしのノーメンテナンス。本人ですら放置なんだから、自分以外の全員も放置。すごく自然な流れ。
でも今回、久しぶりにまじまじとページを観てみたら、漠然とだけど、悪くなかったんだよね。悪く無いどころか、正直、ちょっと良かった。何がいいのかな?って考えてみたら「プロモーション」が無いのね。陰りが見え始めているFacebookのように、いいんだかわるいんだかよくわからない Twitter のように、ウンザリさせられる [PR] が画面に見当たらない。スッキリとして、邪魔くさくなくて、端的。素敵。
が、だ。素敵であってもなんであっても、ソーシャルのプラットフォームは「利用者数」が勝負所の設定なので、勝負で言うとやっぱり勝てない。勝てないからなおのこと利用者が増えない。負のストリーム。
でもこの勝負もルール自体がターニングポイントにさしかかっていて、利用者数で勝てなくていい時勢、というのも見えてきてる。それはたとえばソーシャル疲れたぜっていう人がいて、そんなの嘘でしょ戯れ言でしょ良識人気取りでしょと想ってたら本当に居て。で、反動じゃないけど隠れて、気の置けない仲間たちだけのコミュニティを保ちたいとか、顔は知らずとも指向性だけは合致する者同士でだけ繋がりたいとか、そういう秘密基地的なオタク的なものへの回帰。
実際、たとえば Tumblr は相変わらず凄く面白い。刺激物もNSFWの混入率もかなりのもので扱いに困るところが無くはないんだけど。でも面白い。期間中ずっと面白いってホント凄い。vineでも、instagram でも、なんでもいいけど中程度の規模のプラットフォームでこそこそ暮らしたい気持ちは、よくわかるな。
そこをどういう場所にするか、ということは単純なようでいて、会社を作るような難しさがある。ビジネスは成功しなくちゃいけない。参加者を選り好みはできない、統制しようとすれば反発が起こる。だから場のコンセプトだけが最初から最後までよりどころになる。「あるコンセプトの下に私たちはある」という設定の理解共有以後は、参加者が自分たちで演者を演じ、客を演じる。
という意味で、Google+は休日の中央区のように静かで、自分には合ってる。誰も居ないけど。